ユリシーズ

e0110713_16263377.jpgいつか読もうと思っていた『ユリシーズ』。もちろん、ジョイスの方だ(ホメロスの『オデュッセイア』は既読)。実は、何年も前に読みはじめたことがある。山の小屋で優雅に読みはじめたのだったが、やたらと詳しい脚注に生真面目に全部目を通しているうちに棒を折ってしまったのだった。

最近、ナボコフを読むようになり、『ヨーロッパ文学講義』を読んだのだが、彼が大学の講義用に書いたメモをもとにしたその中に『ユリシーズ』も採り上げられていた。ナボコフは、ギリシア神話と照らし合わせて読むようなまねは必要ない、とあっさり片づけ、それよりも主人公レオポルド・ブルームとスティーブン・ディーダラスが、同時刻どこにいて、何をしているのかに注目して読んだ方がいいというようなことを学生に語っている。

なるほど、と思い、ずいぶん前にリクエストしておいた本を図書館から借りてきた。
丸谷才一らの訳した集英社版のⅠ、Ⅱを読み終え(脚注はほとんど無視して読んだ)
Ⅲを借りに行ったら、なんとしたことか、Ⅲがない。あのとき、途中で棒を折ったため、
がらにもなくⅢをリクエストするのを遠慮したのだった。しかし、誰が読むにせよ。
Ⅰ、Ⅱと来てⅢがないのは変だろう。ここは続いて購入しておくのが普通と思うのだが。

Ⅱまで読んで、Ⅲを読めないのはつらい。小俣図書館まで車を走らせたけれど、
あいにくここにもない。(小俣ではナボコフ本だけかき集めて帰ってきた。)
インターネットで調べてみると県の図書館にはあるそうだ。さっそく古い貸出カードで
取り寄せようとしたが、システムが変更されていて、申請し直さないとダメらしい。

市の図書館に電話すると、市から県に貸出を依頼することができるそうだ。
ただ、そのためには市の図書館まで行って、申請書を出す必要があるらしい。
一応ネットワークはあるのだが、まだまだ不便なものだ。
そんなわけで、さっき図書館に行って来た。早く来るといいのだが。
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# by abraxasm | 2007-08-04 16:18 | 日記

ナツアカネ

仕事で二か月ばかり新潟に行っていた八べぇさんが帰ってきたという連絡が入った。
温泉に笹団子と新潟生活を謳歌しているとばかり思っていたが、ネット上の情報と本音とには差があったようだ。いわゆる食道楽で、食べるものについては一言ある人なのだが、
あちらのラーメンの味に馴染めなかったらしい。なんでもダシが利きすぎているというのだ。
土地土地によって味付けがちがうのは仕方がないこと。米どころだけにご飯は美味しかったというから、それでよしとしなければなるまい。

それで、こちらの味に飢えているとのこと。さっそくなじみの鰻屋で旧交を温めることにした。
得難いキャラクターの人物なので、帰りを待ちわびていた者は多い。
とはいえ、急に集まろうと言っても来られる者はしれている。
いつもの大型スーパーで待ち合わせ、近くにある鰻屋へと向かった。

知る人ぞ知るという店で、前にある釣り堀とあわせていつも人が絶えないが、
この日は台風の余波もあり、海に近い店はわりとひっそりとしていた。
1400円の梅定食を注文し、新潟の土産話に聞き入った。
サッカーのサポーターの話や、スーパーの多さ。なかなか面白い情報ばかりだが、中でも、
日本海に沿って走る「笹川流れ」という道の話に心が動いた。
一度、日本海に沈む夕陽を浴びて走ってみたいと思うことしきり。

さて、鰻だが、なぜか伊勢には鰻屋と寿司屋が多い。参宮の影響があるのかどうか知らない。それだけに、店によってそれぞれこだわりを持っている。特にタレの味がちがうようだ。
この店のタレは甘辛くてほどよい感じ。むしろこだわりは炭火焼きの皮の焦げ具合か。
パリッとした仕上がりは、好みにもよろうが、好ましく感じる向きも多いはず。

さて、前に釣り堀を備えたこの店の周りは、蘆の茂る湿地帯。そのせいか、雲が割れて
青空の見えてきた空一杯にナツアカネが群れていた。
子どもの頃、「チンモク」という、両端に錘をつけた糸を空中に飛ばし、オニヤンマやギンヤンマを捕まえた話に花が咲いた。片手で錘の端を持ち、もう一方の人差し指で糸の中央を空に向かってはじくと、蜻蛉が餌だと思ってよってくるところに、糸が巻き付く仕掛けだ。

あの頃は、ギンヤンマもオニヤンマもほんとうに群れて飛んでいた。
昔、この国は秋津州(アキツシマ)と呼ばれていた。アキツとは蜻蛉のことである。
少し前までは、古名がしのばれる自然環境を残していたのに、今では昔を偲ぶよすがもない。台風の去った後、空を飛ぶナツアカネの群れを見て、少しさびしくなった。
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# by abraxasm | 2007-07-16 09:57 | 日記

御前酒

数日前、さるところから美作の銘酒をいただいた。
さっそく賞味したいところだが、純米吟醸、大吟醸という酒は、酒肴を選ぶ。
あまり味の濃い肴や油濃いものは酒の味をわからなくさせてしまうからだ。
妻が選んだのは鮎の塩焼きだった。

水質のきれいさでは全国一の折り紙付きの宮川で捕れた天然物である。
七輪に炭をおこして縁側で焼きたいところだが、用意がない。グリルで、じっくり焼いた。
パリッと乾いた薄皮にうっすら焦げ目がついたあたりで取り出し、箸をあてる。
皮の裂け目から湯気が上がって、柔らかな白い身が皿にこぼれた。

箸でそっと口に運ぶと、鮎ならではの香気が口中に広がる。
白磁のぐい呑みに頂き物の酒を注ぐ。吟醸酒特有の果実に似た薫りが鼻腔をくすぐる。
さらりとした飲み口は予想どおり。鮎の塩気が上質な甘さを引き立てている。
しかしそれにも増して味わい深かったのが、はらわたとのコラボレーションである。

だいたい、鮎の塩焼きでいちばん旨いのが、このはらわたというところ。
なんでも、水苔を餌とする鮎の薫りがもっとも濃厚に凝縮されているらしい。
ほろにがい味を美味しくと感じるには、それなりの歳にならないといけない。
しかし、苦みは苦みである。それをさらっときれいなものに変えてくれるのが旨い酒だ。

美作は、かつて訪れたことがある。
杯を重ねながら、家族四人で旅行した時のことを思い返していた。
昔ながらの景観が好ましい城下町や長閑な田園風景が鮮やかに甦ってきた。
静かな雨の音を聞きながら、遠来の酒を愉しんだ宵であった。
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# by abraxasm | 2007-07-14 12:02 | 日記

花菖蒲

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朝刊に近くの町にあるノハナショウブの群落が採り上げられていた。
新聞に出た日が梅雨の合間のこんな上天気とあっては、
たださえ狭い駐車スペースが満杯だろうと敬遠して、今ひとつの菖蒲園を訪れた。
こちらの菖蒲は、まだ咲きはじめといったところだったが、紫陽花が今を盛りと咲いていた。
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# by abraxasm | 2007-06-16 18:23 | 写真

バジル

職場の同僚が育てているバジルを分けてもらった。
何でもイタリアから海を渡ってきたらしい。
近頃は自転車通勤であることを知っているので、
わざわざ雨の日を選んで、持ってきてくれた心遣いがうれしいではないか。

黒いビニールポットに入った小さな株を5株ほど、レジ袋に入れて車の中に持ち込んだ。
外は雨。車の中は、爽やかなバジルの香りでいっぱいになった。
赤いアルファロメオに緑のバジル、アルファロメオは香りにうるさい車だが、
バジルの香りは、よく似合う。

帰宅時である。空腹感も相俟ってジェノバ風パスタが食べたくなった。
バジルの葉を松の実と一緒にフードプロセッサにかけ、オリーブオイルと合わせれば、
ジェノベーゼ・ソースのできあがりだ。
もっとも家には、フードプロセッサがないので、いつも擂り鉢でごりごり摺っている。
松の実がなかなか難物で、けっこうな力仕事になる。
それだけに食べるときの悦びは、店で食べるのとはだんちがいだ。
プランターで育ててからのことになるが、今から待ち遠しい。
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# by abraxasm | 2007-06-14 18:41 | 日記

誰もいない海

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雨が降るかと思っていたのに、いつまでたっても気配がない。こんなことなら、早くから出かける準備をしていれば遠出もできた。天気が悪ければのんびりしようと思っていたのだったが、雨上がりの空の色があまりにきれいで家にいるのがもったいない気分になってしまう。こういうのを貧乏性というのだろうか。

一週間ぶりに147を引っ張りだし、まずはガソリンを入れた。愛知県まで走った後なのでリッター10を越えていた。職場が近くなってからは7から8といったところだったので、ちょっとうれしい。雷雨が続いたわりには川の水は澄んでいた。山もからからに乾ききっていたのだろうか。

海が見たいと妻が言うので、南に走った。海を見ながら走る道は緩やかにカーブしながら海岸線に沿って延びている。蜜柑で有名な内瀬を抜け、礫(さざら)浦にやってきた。オートキャンプ場があって散策路が整備されている。管理人に一声かけて、マリーナまで歩いた。さすがに誰もいない。桟橋には人待ち顔のヨットが何艘も繋留されていた。

そのまま車を走らせると、礫浦の集落に入った。漁村らしい家並みが猫の額ほどの平地に肩を寄せてひしめき合っている。海水浴場の看板に誘われるように車を降りて家並みの中の隘路を抜ける。何ほども行かぬうちに堤防にぶつかると、その下が海水浴場だった。

波よけのテトラポッドが高く積まれ、せっかくの景観を味気ないものにしているが、海で暮らす人たちにとっては必要なのだろう。そうは言っても、本当にここで泳ぐのだろうか。人気のない海では鳶が高く低く空を舞っていた。独特の鳴き声も静かな海では大きく響く。二人して子どものように貝殻を拾い集めたりした。
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# by abraxasm | 2007-06-10 18:14 | 日記

雨上がり

昨夜来の雨も上がり、薄日が差してきた朝の街を自転車で走り抜ける。
雨が街路の埃や大気中の塵を洗い落としたせいか、俄然空気が爽やかだ。
日曜日の朝だから、自動車もあまり走っていない。
排気ガスを浴びずに走れるのは、ありがたい。
神社の森や庭先の花が昨日の雨で生き生きして見える。
天気予報では、今日も傘のマークが並んでいる。この天気も一日はもたないようだ。
走れるうちが花。車の少ない朝のうちを選んで出てきたのが正解だ。
上り坂で路線バスに追い抜かされたが、停車中に抜き返した。
雨がふってきたら、借りてきたばかりの堀江敏幸を読もうと思っている。
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# by abraxasm | 2007-06-10 10:18 | 自転車

スカシユリ

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表通りに面した実家の前に、ユリが咲き始めた。近頃では朝夕の水やりが欠かせない。
毎日水をやっていると、それまでは何とも思っていなかった花に目がいくようになる。
つぼみがふくらんでくると、いつ咲くのか楽しみだし、葉が萎れると、水が足らなかったのかとすまない気持ちになる。ガーデニングの趣味などなかったが、ただ水をやっているだけで、これだけきれいな花を咲かせてくれるのなら、退職後の趣味の一つにしてもいいか、などと考えている。
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# by abraxasm | 2007-06-05 18:02 | 写真

結婚式

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長男の結婚式に出席した。会場は大阪、心斎橋。ホテルの地階にあり、ヨーロッパのワイン蔵か、ローマによって認められる前、地下に潜っていた初期キリスト教会をイメージしたような洞窟風のレストランである。イタリア語で「愛の洞窟」を意味する、このレストランを気に入ったのは新郎の方だそうだ。

二人はすでに入籍済みで、今回の式は友人や親戚へのお披露目の意味で開かれる。式の中で、新郎自らが語っていたが、はじめは結婚式そのものも考えていなかったそうだ。男親のこちらとしては、それで別段何の不都合もない。祖父母は高齢で出席もままならないし、とやこういう親戚もいない。しかし、妻はちがった。可愛い「娘」の花嫁姿が見たいと言い張った。新婦のお母さんだって同じ気持ちにちがいないというのだ。そんなわけで、一年間かけて準備したのが今回の式であった。

食事は、素材にこだわったイタリアン。新婦の祖父手作りの新じゃがと玉葱をふんだんに使ったフルコース。見栄えばかりを気にしたゴテゴテのウェディング・バンケットとはちがったしっかりした料理に舌鼓を打った。結婚式で料理を味わうなどはじめての経験である。

自分たちが結婚式をするのだったら、こうしたい、という気持ちが、こんなに隅々まで溢れていた式には正直はじめて出会った。プロのブライダル・プランナーがついてくれていると聞いて、何も口出しせずに二人に任せっきりだったが、自分たちの思いを伝えるために、いろんなアイデアを詰め込んだのだろう。手の込んだ演出と手作りのメッセージ・カード類が二人の奮闘ぶりを伝えていた。

一例をあげるなら、席の名札を立てるスタンドは新郎の手になる針金細工。ネームプレートその他に添えられた可愛いキャラクターは新婦の手になるイラストだ。BGMの選曲も自分たちで考えたのだろう、その中の一曲は新郎自身が作曲したものだった。その他、受付で手渡されるリーフレットも全部手作り。両家に残るアルバムから新郎新婦の子どもの時からの写真を選んでレイアウトしてあった。

小ぶりの封筒に入ったメッセージカードには、60人に及ぶ出席者ひとりひとりに向けてそれぞれ異なる新郎新婦手書きのメッセージが入っていた。豪華な式を挙げることは、金さえかければ誰にでもできる。けれど、手間暇かけることは、気持ちがなければできない。二人の結婚式で何がいちばん感動したかといえば、この細やかな心遣いであった。

ウェディング・ケーキは本型で、新郎新婦が寝そべって本を読んでいる姿の人形が乗っかっていた。心を込めながら、ちゃっかり自分たちが楽しんでもいる。このあたりが、若い二人の真骨頂か。出席者の方もずいぶん盛り上がっていた。特にギターと歌を披露してくれた新郎の友人と、カメラ番を任された従兄弟ははじけていた。それにつられて、めずらしく二男も嫌がりもせずに前に出て写真を撮っていた。

新婦の二人の弟さんはブーケのデザインとビデオ係を、新婦のお母さんと伯母さんは会場入り口で列席者を迎えるウェディング・ベアならぬウェディング・ピッグの飾り付けをして下さった。妻は妻で、スピーチをしてくれた方のところに行ってはお礼を言うなど、気働きをしてくれていた。それにひきかえ、新郎の父は、どう動いたらいいものか、よくわからないまま席に座ったままだった。気持ちの方ではあれこれ思うのだが、いざ行動というと段になると、体が動かない。もっといろいろ動いて、来ていただいたお礼など言うべきであったと反省しきりである。

式の終わりには新郎側の父親が一言謝辞を述べるのが一般である。ところが、息子からは何も言ってこない。一週間前、散髪に行って、そのことを話すと、「それはあるでしょう。まあ、貴方ならその場でふられても大丈夫でしょうけれど。」と、床屋が言う。とんでもない。急に言われてその場の思いつきで話せる程度のスピーチと父親の謝辞はちがう。

妻にそう言うと、「自分でたしかめてみたら?」と言う。しゃべりたがってるように思われるのも嫌だし、妻に頼んで訊いてもらった。電話には新婦の方が出て「お願いします」とのこと。妻が、息子からは聞いてないことを告げて、「あの子、お父さんなら、そんなことはその日でいいよと言ったんじゃない?」と水を向けると、「そのとおりです。」との返事。買いかぶりもいいところだ。

いつも、すました顔でしゃべってはいるが、大事な式の前にはちゃんと準備をして、原稿も書き、時間を計って練習もしている。3分以内にまとめるためには原稿書きと練習は不可欠なのだ。あわてて、原稿を書いたが、リサーチ不足は否めない。二人の式にかけた気持ちに寄り添うような言葉にはなっていなかった。その上、新婦の手紙の朗読にすっかり心を動かされ、自分の番になったら、途中で言葉に詰まる始末。

どうにか、挨拶を終えたものの、その後の新郎の謝辞のみごとな出来に、子どもの成長を感じてうれしい反面、自分の準備不足が責められて、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまった。要は、心がけの問題である。自分たちの結婚式に来てくれる人たちのことを思い、こつこつと準備してきた二人に比べて、全部任せきりにしてきた自分のいい加減さを思い知らされた。

生意気なことを父親面して言っていてもこの始末である。終電車に間に合わなくなるので、ゆっくり話をする暇もなかったけれど、とてもいい式に出られて父も母も喜んでいます。挨拶、上手くできなくてごめん。二人のお幸せを祈っています。
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# by abraxasm | 2007-06-03 11:56 | 日記

向かい風

自転車通勤もずいぶん慣れてきた。サドル高を上げてもらってから、いっそう快適になったこともある。実は、初めからサドルはもっと高くてもいいと思っていたのだが、専門店が決めてきた高さだからと、一応尊重していたわけだ。本当のところはペダルがいちばん下にきても膝が曲がったままなのが気になった。4センチくらい上げてもらったら、少し膝が曲がるかな、というくらいになった。そのかわり、信号待ちの時は、つま先立ちになるので、少し不安定だ。それくらいはがまんしても、走っているとき楽な方がいい。サドルの低い自転車に乗っている高校生が、ときどきサドルから腰を浮かし、ペダルに足を踏ん張って乗っている姿を見かける。あれは、きっと膝がだるくなっているのだ。

そういえば、僕が高校生のころはドロップハンドルの自転車通学が許されていたのに、最近は前に籠をつけたタイプの自転車しか許されていないようだ。何故なのだろう。みんな膝を曲げたまま、ゆっくり走っているが、あれは体に悪そうな気がする。スピードが出せないから、車も走る道を横一列に広がって何台もの自転車がしゃべりながら走っていたりする。隙間を縫うように毎朝追い越すのだが、後ろから視線が突き刺さるようで、あまり気持ちのいいものではない。

自転車通勤を続けていて弱るものに風(雨の日は乗らないから)がある。追い風を受けて走るのは気持ちいいが、向かい風は辛い。羽織ったシャツが風を孕んで、武田の騎馬軍団がつけていた母衣のようにふくらむ。息をするのも苦しいし、登り坂での向かい風は泣きたくなってくる。

それにもう一つつらいのが空腹感。仕事帰りにどこかに寄って、というタイプではない。昼は軽くすませるのが常で、間食は一切摂らない方だから、帰る頃にはおなかが空ききっている。たいした距離ではないが、家までには何回かの登り坂がある。だらだら坂はなんとかごまかしても、最後の急坂になると腹に力が入らない。自転車は地球環境に対しては省エネかもしれないが、人間のエネルギーはずいぶん消費するものだと分かった。
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# by abraxasm | 2007-05-28 19:14 | 自転車

覚え書き


by abraxasm