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『飛ぶ孔雀』山尾悠子

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これまでの幻想小説色の濃い作品とは、少し毛色が変わってきたのではないか。精緻に作りこまれた世界であることは共通しているのだが、いかにも無国籍な場所ではなく、間違いなくこの国のどこかの町を舞台にしている。作者が学生時代を過ごした京都や生地である岡山のような、古くからその地に伝わる文化や言い伝えが残る、程よい古さと大きさを兼ね備えた地方都市のような。

「飛ぶ孔雀」と「不燃性について」の二部に分かれている。それぞれは独立しているようでいて、実はどこかでつながっているらしいのは、どちらにも登場する人物がいたり、どちらにも出てくる話題があることから分かる。ただ、その繋がり具合が尋常でない。「強盗(がんどう)返し」という語が文中に一度ならず使われているように、障子一枚引き開ければ、踏み入った世界はまったく別世界といった具合に、二つの世界は背中合わせで通底しているようだ。

人物の心情や行動の変容を通して、人間や世界を見つめるというような作品ではない。いうならば、トポス(場所)が主題である。目に見えないが存在する、何かに影響を与える磁力のような力を持つ場所があり、それが人や人の住む場所の形や大きさを変える。地火水風、四大の異変が通奏低音のように流れていて、人物たちは物語の冒頭からその影響下にある。書き出しからして「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった」なのだ。

その「柳小橋界隈」は、シブレ山の南東に広がる城下町の中を川が流れ、いくつも架かる橋の一つを揺らして路面電車が通り過ぎる。橋げたの下に積み重なったバラックの一軒。中洲の先端に突き出した何度も泥水に洗われて、足下の覚束ない物干し台で少女は火を熾そうとしている。火が燃えにくくなっているという設定の世界は、冒頭から通常の世界ではないことを印象づける。暗夜にとぼしく灯る火を目当てに男は船で漕ぎつける。火が「飛ぶ孔雀」の重要なモチーフである。

男と少女の逢引きという主題は次の「だいふく寺、桜、千手かんのん」に話をつなぐ。菓子屋の娘を連れて寺の拝観に来たKは、石切り場の事故でシブレ山が二つに増え、石屋の社長は湯治に逃げた、という噂話を耳にする。「ひがし山」は「橋をひとつ渡るたびに、確実にちからは増す」という『橋づくし』を思わせる予言から書き出される。眼の悪い少女が家を継ぐことになった顛末が語られる。少女はペリットを吐く。鳥類が一飲みにした小動物の未消化物を指すペリットは次のKの記憶を語る「三角点」にも出てくる。このようにイメージがイメージを呼び、断片的な挿話が次から次へと繰り出される。

「火種屋」、「岩牡蠣、低温調理」と火のモチーフを扱った間奏曲二篇を挟んで表題の「飛ぶ孔雀、火を運ぶ女」に至る。二つの川を水路で繋いだことにより、大きな三角州状になった川中島Q庭園で行われる大茶会が「飛ぶ孔雀」のメイン・ディッシュ。菓子屋の娘とその腹違いの妹が、逆回りで庭園内の茅屋に灰形の火を運ぶ役に籤で選ばれる。守るべき禁忌があるのだが、孔雀は飛ぶし、芝生は動くし、関守石は転がるしで、姉妹は禁忌を犯す。面妖な怪異が夜の庭園をかき回し、盂蘭盆会を賑やかに不思議な大騒動が繰り広げられる。

「不燃性について」は「移行」という「若いGがじぐざぐの山の頂上へ至るまでのおおよその経緯」を書いた挿話ではじまる。季節は移って初秋になっている。「地元Q庭園」とあるからには、同じあの町だが、場所は変わって川端にある古い公会堂地下三階にある公営プール、路面電車の軌道がカーブする位置にある三角ビル、とシビレ山にある施設が主な舞台となる。モチーフは水。

場所を象徴するのは、巨大なすり鉢状の構造である。しかも、階段状になっている。地下のプールとその客席がそうだし、シビレ山の施設、頭骨ラボも修練場も同じである。「眠り」で仕事帰りに公営浴場に立ち寄ったKは、地下プールで路面電車の女運転士ミツと出会う。ミツは弟のQが三角ビルに住んでいて、最上階に住むKを知っていた。三角ビルと聞いて思い出すのは横尾忠則の連作「Y字路」だ。

そして横尾といえば、アングラ芝居のポスターではないか。妙に土俗的で、それまで自分たちが否定し、隠してきた恥部を露悪的に前面に押し出すことで前近代的な自我を自己肯定しているような生温かいぬるさのようなものが後づけの西欧を追いやるところが「不燃性について」と根を同じくしている。理屈ではない。肌合いのようなものか。血縁だけではない疑似的な家族関係、兄さん、姐さんといった呼称、泉鏡花や柳田国男のいう「妹の力」の強調。

若い劇団員のQはシビレ山にある頭骨ラボへの出張を突然命じられる。頭骨ラボは宿泊施設を改築した死骸を煮て肉をこそげ落とし標本用の白骨を取り出す工場のようなものだ。ある意味ペリットの相似形。先輩のトワダは先にラボに行ってしまうが、婚約中であったQは後援会組織の家族の意向で急遽結婚させられてしまう。相手はよく似た顔をした大勢の姉妹を持つ一人である。

「不燃性について」を支配しているのはカルト的な組織とそれに抗する地下組織の暗闘のようなものだ。喫煙者を襲う自警団や清掃活動を宗教的な位置に祭り上げる老人会、地熱で温めた温泉卵を路面電車で配達する地下組織、何やらよく訳の分からない連中が犇めきあっている。温泉の熱で温められる地下、と雷が落ち大蛇がうねくる山頂部分が対比的に影響を与え合っている。両者をつなぐのが、同じ場に相いれない美少年Qと今では大人となったKだ。

アングラ芝居の要領で、一人の役者が衣装や鬘をとっかえひっかえ、次々と別の人物に成り代わって舞台をあいつとめる。雲海を突っ切って上り下りするゴンドラとケーブルカー。同じ構造を持つ十角形を基盤に持つ中空の塔状組織をひっくり返したような巨大建築物。鶏冠と耳と鰭、それに退化した前肢を保有する大蛇、そんな物が大勢の登場人物を呑みこんで上を下への大騒ぎだ。

現実と壁を隔てたところに位置する異世界との交流、もしくは互いに影響を与え合うことによる混乱がせめぎあう、何ともにぎやかなスクリューボール・コメディ。泉下の鏡花先生も苦笑するような仕上がりだが、これはこれで上出来の一巻。多すぎる謎、符合する記述、回収されない伏線、と何度ページを繰っても読み終わるといううことがない。分からないから放り出すということができない、練られた文章力の持つ味わい。山尾悠子は大化けしたのではないだろうか。


by abraxasm | 2018-06-19 05:42 | 書評
e0110713_06431607.jpgどんでん返しもなし、視点人物の交代もなし、二つの時間軸の行ったり来たりもなし。おまけに、時効が成立しているので犯人を見つけても逮捕することができない。今どきこんな小説を書いて、読む人がどこかにいるのだろうか、と思うのだが大勢いるらしい。本邦初訳ながら、作者レイフ・GW・ぺーションはスウェーデン・ミステリ界の重鎮で、本作で探偵役を務めるヨハンソンとヤーネブリングのコンビはシリーズ化されているという。

国家犯罪捜査局の元長官ラーシュ・マッティン・ヨハンソンは二〇一〇年七月五日、スウェーデンいちのホットドッグを食わせる<ギュンテシュ>の屋台に車を停め、ホットドッグを買い求める。車の運転席に座り、食べようとしたとき、後頭部が突然アイスピックで刺されたような痛みに襲われる。脳塞栓だった。発見が早かったので一命はとりとめたものの右半身に麻痺が残り「角の向こう側が見通せる」と噂された頭の切れが戻らない。

主治医のウルリカから相談をもちかけられたのが、事件に関わることになったきっかけだ。牧師だったウルリカの父はある殺人事件の犯人を知っている女性の懺悔を受けたが守秘義務を守り、口を閉ざしたまま死んだ。一九八五年六月に起きたヤスミン・エルメガンという九歳の少女の強姦殺人事件で、初動捜査の遅れにより事件は迷宮入りとなる。事件解決を遅らせる要因となったのが、翌年二月のオロフ・パルメ事件だ。現職の首相が殺され、警察は多くの人員をそちらに割いた。難民のイラン人少女の殺害はその影響をもろに受けたのだ

ヨハンソンは、体の自由が戻らぬままに捜査を開始する。アームチェア・ディテクティブならぬ、ベッド・ディテクティヴだ。その手となり足となるのが元同僚で今は定年退職をした元捜査官のボー・ヤーネブリングであり、義弟のアルフ・フルト。それにコンピュータに詳しい介護士のマティルダと兄が送り込んだ頑強なマックスというロシア生まれの青年だ。警察小説でありながら捜査本部は病室と自宅だが、ヨハンソンを慕う部下は多く、協力を惜しまない。

事件の捜査の進捗とヨハンソンの回復と停滞が日付けとともに日誌のように記されてゆく。淡々とした捜査日誌ではなく、体が思うように動かせない病人の苛立ち、子ども扱いされる不満、大好きなホットドッグや酒を止められ、ヨーグルトやミューズリーといった健康食品を食べさせられる不満が、随所に書き留められる。ほぼヨハンソンの視点で語られているため、会話の後に内言が多用され、言わずに置いたこともすべて語られるので、読者はいやでも主人公と感情を共有することになる。

よくある刑事とちがって、ヨハンソンは資産家だ。長兄とすすめている事業も順調で、歳の離れた若い妻との仲もいい。子どもの頃から狩りをしてきて銃の扱いには長けている。食いしん坊で、不摂生とストレスが心臓に負担をかけており、健康的な生活を心がけねば危険だと医者に言われていても、リハビリ中にもかかわらず、ヤーネブリングやマックスの手を借りて、レストランで好きなものを食べ、酒を飲む。ほぼ同じ年頃なので、気持ちはわかるが妻にしてみれば困った亭主である。

北欧ミステリといえば、本作もそうだが、幼児性愛や、虐待といった陰惨な事件を扱うことが多い。その反面、それを追う警察仲間の人間関係はけっこう親密で、ユーモアに溢れているのが、ある種の救いになっている。本作もまさしくそれでヨハンソンを囲む人々の元長官に寄せる愛情がひしひしと伝わってくる。もっとも、本人はなかなか回復しない病状の方に気が行って、それをありがたく思うところにまで気が回らない。

純然たるミステリとはいえない。取り寄せた資料を読み解くうちに、ヨハンソンは犯人像をしぼりこむ。特に重要なことは、ヤスミンの両親が知らない人に注意することを徹底していたという点だ。顔見知りの犯行ということになる。しかも、犯行の手口から見て、ふだんはまともな暮らしをしていることがうかがえる「配慮のあるペドフィリア」。撒き散らした精液の量から見て歳は若い。

これだけプロファイルされていたら、巻頭に掲げた登場人物の紹介をあたれば、まだ登場していなくても犯人は分かる。問題は時効が成立済みの犯人にどう対処するか、という点になる。髪の毛一本すら現場に残さない犯人から、どうやってDNAのサンプルを採取するのか。あるいは、万が一それが一致したとして、逮捕できない犯人をどう処罰するのか。正直言って、この解決法は納得のいくものではない。ひねりのないのも善し悪しだ。

二〇一〇年、スウェーデンは殺人罪などの重大犯罪は時効を廃止した。しかし、施行日以前までに起きた犯罪は時効が成立してしまう。その矛盾をどうするのか、という大きな問題を突きつけている。ヨハンソンという人物の魅力と、その周りに集まってくる友人、知人の活躍で持っている作品である。スウェーデン料理についても逐一紹介されていて、料理好きにはちょっとたまらない。これを機に未訳のシリーズ作品が、訳出されると思われる。本作には他のシリーズ物からカメオ出演している人物も多いらしい。何かと愉しみな北欧ミステリの雄の登場である。

by abraxasm | 2018-06-11 06:43 | 書評