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e0110713_22194085.jpg四肢麻痺の車椅子探偵が活躍する、リンカーン・ライム・シリーズの最新作。ライムの弟子で同じく車椅子生活を送る若い女性ジュリエットも新しく仲間に加わる。視点人物がころころと目まぐるしく交替するが、その中には「僕」と名のる殺人者も登場する。犯人が自分のしていることを自分で語ってしまっているので、映画ならともかく、謎解き興味で引っ張ってゆくミステリ小説にはどうかと思ったが、やっぱり最後にはお得意のどんでん返しをくらってしまった。しかも、ライムと助手の二人の車椅子に乗る人物しかいないところを犯人が急襲するという、絶体絶命の危機まで用意されている。

犯人は冒頭から姿を見せる。身長は高いが痩せていて、特徴的な体つきが目撃者の印象に強く残るからだ。スターバックスでサンドイッチを食べているところを挟み撃ちにしようとしたところで、思いがけない邪魔が入る。エスカレーターの最上階にある乗降板がなぜか開き、男性がそのピットに落ちてしまったのだ。モーターの回転が止まらず歯車が男の腹を巻き込んでいくのが止められない。犯人を見張っていたアメリア・サックスは、救出のためにピットに入るが、出血多量で男は死亡、そのすきに犯人は逃亡する。

アメリアは被害者家族のために裁判に持ち込んで保証を勝ち取ろうとライムに協力を依頼する。早速エスカレーターの実物大模型をタウンハウスに持ち込み、誰に責任を追及すべきか機械を詳しく分析するライムとそのために休暇を取らされた市警の鑑識官メル。しかし、その間にも連続殺人犯、未詳40号は、次々と犯行を重ねる。いつもなら、ライムのタウンハウスでディスカッションしながら犯人を追えるのだが、ライムは無実の男を結果的に死なせた件で市警を辞職した身だ。アメリアは、ライムの協力なしに犯人を追わねばならない。

はじめは別々の事件を追っていたライムとアメリアだが、二つの事件に接点ができる。未詳40号が捕まりそうになった時、突然エスカレーターの事故が起きたのではなく、犯人は事故の仔細を見るためにその場にいる必要があったのだ。ライムたちの調査でエスカレーターに使われていたコンピュータ製品がハッキングされていたことが分かる。最初に頭がい骨を丸頭ハンマーで砕かれていた被害者が、それをハッキングしていた男で、未詳40号は、その技術を盗むために近づき、まんまと手に入れると殺してしまったのだ。

「僕」は、学校時代からその外見のせいで仲間にいじめられ、反社会的な考えを持っている。すぐにかっとなる性格でバックパックにはいつもハンマーを持ち歩いている。しかし、手先は器用で、ミニチュアの家具を作りネットで販売もしている。「僕」は、執拗に自分に迫るアメリアを憎悪し、手をひかせるためにアメリアの母を襲う計画まで立てる。それはジュリエットの機転で何とか回避されるが、事件にはまだまだ隠された真実があった。

コンピュータの汎用部品がどの電気機器に使われているかをネットに侵入して調べ、それをハッキングする。例えば自動車が勝手に暴走を起こして止められなくなる。今の時代ならいつ起きても不思議でないような犯罪である。電子機器を使った一つや二つの家電は誰でも持っている。それが悪意を持つ者の手に渡ったら、という恐怖は、残虐な犯罪を行うシリアル・キラーよりも、もっと身近なところにある恐怖だ。

本筋の事件が次第に暴かれていくその合間に、アメリアのかつての恋人で服役していた元刑事のニックとの再会がある。強盗の真犯人は弟で、弟を護るために罪をかぶったと言われるとアメリアの心は揺れる。今はライムとつきあっているアメリアとしてはニックのことをライムには相談できない。二人の間にわだかまりが広がっていく。それだけではない。ライムがルーキーと呼ぶ巡査のロナルドは許可も得ず勝手な潜入捜査を始める。理由はライムが市警を辞めることになった事件の再捜査だ。死者が罪を犯していたことを知れば、ライムが考えを変えるのではと考えたのだ。

こうして同時多発的にいろいろな場でアメリアやライムを巻き込む事件が発生し、それらが絡み合いながら最終局面に向かって進んでゆく。この辺の展開はさすがに堂に入ったもので、あれよあれよと思って見ているうちにとんでもない事実が判明する。一見無関係と思われた連続殺人事件の被害者を結ぶ線があった。なるほど、この方向へ持って行くための伏線だったか、とうならされた。あっと驚くどんでん返しは、それまでサイコパスにしか見えなかった未詳40号の印象さえすっかり変えてしまう。

シリーズ物は毎回登場する顔なじみに出会う愉しみがある。今回はそれに、また有力なメンバーが新加入した。「動」のアメリアに対する「静」のジュリエット。ライム相手に一歩も引かず、堂々と自分の意見を述べるジュリエットはこれからますます力を発揮するにちがいない。アメリアとライムはどうやら結婚も間近のようだし、このシリーズ、何かと目が離せない。

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by abraxasm | 2017-12-19 22:19 | 書評
e0110713_15484035.jpg『種の起源』の発表から数年後のヴィクトリア朝英国が舞台。人のつく嘘を養分にして育つ「嘘の木」という植物が実際に登場するので、やはりファンタジーということになるのだろうが、なぜかミステリ業界で評判になっている。今年の第一位という評さえあるくらいだ。そうまで言われると読んでみたくなる。お約束のどんでん返しもあるし、謎解きの妙味もある。主人公の娘フェイスが持ち前の好奇心を武器に、父の死の真相を探るという立派なミステリになっている。

フェイスの父エラスムスは、牧師というよりも高名な博物学者として知られていた。ところが、あろうことか、エラスムスが発見した化石が実はねつ造されたものだという事実が新聞報道され、一家はケントの牧師館を追われるようにして去り、ヴェイン島に向かう。島の洞穴の発掘作業に招待を受けたのだ。スキャンダルから一時身を隠すには絶好の機会だと義弟が勧めるので、とるものもとりあえず船に乗ったのだった。

はじめは歓待されたサンダリー家だったが、ねつ造の件を伝える新聞は島にも届き、島民は手のひらを返したような態度をとりはじめる。そんなとき、父が不審な死を遂げる。父が大切に世話をしていた鉢植えの木を隠すため、フェイスが偶然見つけた洞窟に父を案内した後のことだ。父の死体は崖に生えた木にひっかかっていた。後頭部には傷があり、近くには死体を運ぶのに使われた手押し車が放置されていた。

問題は一家に対する島民の反感の強さだった。死因が自殺ではないかと疑われ、審問が終わるまでは遺体を墓地に埋葬する許可が出ない。フェイスは父の死は自殺ではなく、誰かに殺されたものと考え、捜査を開始する。手がかりは父の残した手記の中にあった。それには「偽りの木」を手に入れた顛末が書かれていた。それを育てるには嘘を聞かせねばならず、大きな実を成らせるためには大きな嘘が必要になる。そして、その実を食べることで真実を告げるヴィジョンを見ることができる。

ダーウィンによる『種の起源』の発表は、神は自分に似せて人類を創造したという説を真っ向から否定するものだった。肩に翼をもつ人間の化石のねつ造は、エラスムスが、人間誕生の真実を幻視するための大きな嘘だったのだ。秘密を知ったフェイスは、自分も嘘の木の実を食べてみる。それによって父の死の真相を幻視しようというのだ。ヴィジョンによる探偵というのは本格探偵小説の世界ではタブーである。しかし、ヴィジョンは暗示するだけで、いわば夢のお告げのようなものだ。事実を暴くには探偵が体を張るしかない。

嵐の晩には洞窟を通る風が吠えるような声を響かせる絶海の孤島。ランタンの灯りだけを頼りに小舟で渡るしかない岬の洞窟。自殺者は杭を打って分かれ道の辻に埋めるという因習に凝り固まった島民の敵意。そこへもってきて、ヴィクトリア朝の女性蔑視や子どもと大人の女性との間の年頃でどっちつかずのフェイスの年齢が持つ曖昧さが厄介になる。博物学者になりたいというフェイスだが、弟は寄宿学校に入れてもらえるのに、フェイスにはその選択肢がない。

フェイスの母マートルや郵便局長のミス・ハンター、その他の女性を描くことを通して、ヴィクトリア朝という時代設定を単なる飾りではなく、女が自立して生きるにはいかに困難な時代であったかをしっかり描いているところが特徴である。夫を立てるふりをしながら、実際は男がうまく動けるようにその環境を整え、手配するのが妻の仕事。そのためには、媚を売るくらいのことは、平気でやるのがマートルだ。はじめは母のことが嫌でたまらなかったフェイスが次第に母を見直すように変わっていく。

真犯人を探すための手がかりは、はっきり書かれている。視点人物はフェイスに限られ、彼女の知り得た事実は読者も共有できる。ファンタジー風味は極力抑えられ、伏線の張り方やフェアな叙述はミステリのそれである。周りを海に囲まれた島で、エラスムスを犯行現場に呼び出す手紙を書けたのは発掘作業に関わっていた者でしかありえない。フェイスは幽霊騒ぎや、偽のノートといった奇手を使って、犯人に揺さぶりをかけるのだが、やっと分かった真犯人は意外な人物だった。このどんでん返しがよく効いている。

犯人を見えなくさせているのが、物理的なトリックでなく、心理的なトリックであることがミステリ評論家に受けをよくしているのかもしれない。19世紀という時代そのものがトリックになっていると言っていい。「嘘の木」という仕掛けが、さして嘘くさく見えてこないのも、まだまだ人類が他の動植物と同じく、神の創造物であるという、いまとなっては戯言とも思われる考えが大手を振って歩いていた時代の話になっているからだ。あれこれと悩みながら、自分のアイデンティティを確立してゆく主人公に共感できる世代に勧めたい。

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by abraxasm | 2017-12-19 15:49 | 書評
e0110713_09522621.jpg『寒い国から帰ってきたスパイ』と『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の二作を読んでから読むことを勧める書評があった。訳者あとがきにも、同様のことが書かれているが、それはネタバレを恐れての注意。二作品を読んでいなくてもこれ一作で、十分楽しめるので、わざわざ旧作を掘り返して読む必要はない。ただ、これを読むと、前の二作を未読の読者は、おそらく読みたくなると思うので、読めるなら先に読んでおくといいだろう。

数あるル・カレのスパイ小説の主人公として最も有名なのが、ジョージ・スマイリー。眼鏡をかけた小太りの風采の上がらない中年男だ。ただし、現場から寄せられる真贋の程の分からぬ数多の情報を重ね合わせ、比較し、齟齬や遺漏を想像力を駆使して精査し、仮説を立て、読み解いていく能力はずば抜けている。スパイにも色々いるが、スマイリーは何よりも知性派で、冷静にして沈着。仲間や部下からの信頼も厚い。敵にすると厄介な相手だ。

そのスマイリーが息子のように接する若者がピーター・ギラム。もちろん、先に挙げた二作にも登場する。ただし、それほど重要な仕事はしていない。サーカスと呼ばれる情報部の中に保存されている資料を、そこを追われ、自由に見ることのできないスマイリーのために盗み出してきたり、スマイリーのための運転手をつとめたりする、要は手足となって働く、最も信頼のおける助手という立場。

『寒い国から帰ってきたスパイ』の主人公アレック・リーマスの友人で、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の中では、ジョージの片腕として、サーカスに潜入中の二重スパイの割り出しを手伝ったピーター。他の重要なメンバーと比べると歳が若く、今までそれほど重視されてこなかった。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』を原作とする映画『裏切りのサーカス』でピーターを演じたベネディクト・カンバーバッチの人気にあやかった訳でもないだろうが、ここにきて一気に主役に躍り出た。

今は退職し、ブルターニュで年金生活を送っているピーターにサーカスから呼び出しがかかる。本来ならジョージに声がかかるはずのところ、行方がわからないためピーターの出番となった。かつて彼らが関わった作戦の犠牲者となったスパイの遺児が、情報部相手に訴訟を起こした。当時を知る関係者としての協力要請だが、平たく言えば尋問である。作戦というのは、ベルリンが壁で分断されていた時代、東独の情報部(シュタージ)に属する大物スパイを二重スパイとして使う案件で『寒い国から帰ってきたスパイ』はそれを扱っている。

当時、それを担当していたのがアレック・リーマス。原告はリーマスの息子。サーカスの判断の誤りが父親を殺したというのが、その理由だ。保管されているはずの大量の資料がサーカスから持ち出されており、裁判に勝つためには、まずその資料探しから始めねばならなかった。ピーターには資料の無断持ち出し容疑がかかっていた。はじめは渋ったピーターも徐々に重い口を開いてゆく。それは忘れようにも忘れられない苦い思い出だった。かつて愛した女性の死がからんでいたからだ。

こうして、回想される過去の出来事と、自身のスパイとしての在り方を振り返る現在が交互に語られる。複数の時間にまたがる回想視点と現在時の語りが絶妙に絡み合い、スパイという特殊な任務に就いた男女の通常でない心理や情愛の葛藤が描き出される。リーマスやその恋人が操り人形だとしたら、それを動かしていたのはジョージだ。そしてピーターは人形に結びつけられた糸だった。これは『寒い国から帰ってきたスパイ』の世界を、当時、事態を裏で動かしていた立場の者の視点で書き表した小説だ。
目的のためには手段を選ばず、時と場合によっては相手が友人であっても素知らぬ顔で足元をすくい、持てる魅力を最大限に駆使して純情な女性をスパイの愛人に仕立て上げる。いったい何のために、という問いは使命の前に押し殺してきた。それでも、胸の中には悔いや憾みがいつまでも残っている。尋問に用意された机の上に山のように積み上げられた資料が老いたスパイの心をえぐり、回想視点で語られる若いピーターの葛藤が生々しく甦る。

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』で、「もぐら」と呼ばれる二重スパイによって散々な目にあわされたサーカスのその後が描かれているのも興味深い。かつてのサーカスの記憶を手繰り寄せるピーターの視線が、現場を離れた者にありがちな懐旧的視点によって語られるのも共感できるところ。旧世代の目には今の情報部が形式主義に走り過ぎているように見える。隠された書類を見つけようと部屋中を引っ掻き回しながら、廊下に置かれた自転車を見逃すのがそれだ。情報化社会に慣れた今のスパイには紙の資料をどこに隠すかといったアナログな視点がそもそも欠けているのだ。

過去の作品を素材にとり、再度別のアングルから描き直すとともに、歳をとった当人に若い頃の自分を振り返らせる試みが功を奏している。過去のしがらみから解き放たれることのない老スパイの追想には英国情報部に籍を置いていた作者の心境が反映されているのかも、と考えたくなる。細々とした報告書やメモを通して、隠された事実を前面に引き出してくるのがル・カレの真骨頂。報告書の客観的な叙述と裏腹に、書き手のみが知る、語られることのなかった真実が赤裸々に告白される、その対比が鮮やかだ。余韻の残る終わり方にも好感が持てる。

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by abraxasm | 2017-12-12 09:52 | 書評
e0110713_22084264.jpgアイルランドを舞台にした「ツルゲーネフを読む声」と、イタリアを舞台にした「ウンブリアのわたしの家」という中篇小説が二篇収められている。どちらも主人公が女性。『ふたつの人生』という書名は、この二人の人生を意味している。作者のウィリアム・トレヴァーは短篇小説の名手として知られている。短篇では、いろいろな人々の人生のある局面を鮮やかな手際ですくい取るその切り口と人間観察の鋭さにいつも感心させられるが、中篇には、また別の魅力がある。

かなり長い時間をかけて一人の人間の人生を追うことになるので、単調にならないように構成が工夫されている。「ツルゲーネフを読む声」では、小説内に二つの時間軸が設定されている。一つは、主人公に結婚話が舞い込むところから。もう一つは、それから四十年たって、施設で暮らしていた老嬢が、もと居た家に帰ることになり、夫が迎えに来るところから始まる。

読めば分かることなので明かしてしまうが、老嬢は主人公メアリー・ルイーズと同一人物。つまり二つの時間は過去と現在を表している。同時進行する二つの話を読み比べながら、読者はメアリー・ルイーズが何故、精神病院に入ることになったのか、その理由をまだ若かったころのメアリー・ルイーズの物語から探ろうとするにちがいない。それが、作家が読者という、長い小説に気乗り薄な馬に、先を急がせるために鼻先にぶら下げた人参である。

メアリー・ルイーズの夫エルマーは悪い人ではない。妻を愛しているし、勤勉でその暮らしぶりも質素である。ただ、かつての名家も今は落ち目。同居する二人の姉は未婚で跡継ぎが生まれなければ家は遠縁の手に渡ることになる。家柄にプライドを持つ姉たちは農家の娘との結婚を認めたがらず、事あるごとに嫁に辛くあたる。エルマーは二人の姉に頭が上がらず、充分に妻を守ってやれない。メアリー・ルイーズにとって店の休みの日曜日、自転車に乗って実家に帰ることだけが心の慰めだった。

結婚することは別の家族の一員になること。町で商売をする家と農場を営む家とは世界がちがう。新しい世界に受け入れられず、自らも溶け込むことができないメアリー・ルイーズが見つけた自分だけの世界というのが、いとこのロバートが朗読してくれたツルゲーネフの小説の世界だった。ようやく心が通じる相手を見つけたメアリー・ルイーズを更なる不幸が見舞う。もともと病弱だったロバートの早過ぎる死だ。

どんどん自分の世界に入り込んでゆくメアリー・ルイーズと、その隠された秘密を知ることのない周りの人々との間に目に見えない高い塀のような物が積み上げられていく。塀の内側にはメアリー・ルイーズの愛する物が集まり、聞こえて来るのはツルゲーネフの小説世界。人物の名はみなロシア風だ。塀の外では現実のアイルランドの生活が営まれる。小説の世界の中では主人公の奇矯な振舞いの理由を知る者はいない。ただ、読者は知っている。この登場人物は知らないが、読者は知っているというところがミソだ。

メアリー・ルイーズが創り上げた世界は完全な虚構の世界である。傷つきやすい柔らかな内部に入り込んだ異物を、分泌物で包むことで、自分が傷つかないような球状に作り上げてゆく真珠貝のように、メアリー・ルイーズは精神病院に入ることで自分一人の世界を守り続けた。そして、病院を出た後は、現実の世界の中にそれを位置づけようと策略を巡らし、それを成功させるはず。虚構の中に人間の真実を描き出すことにかけて、作家ほど長けた人はいない。メアリー・ルイーズという人格は小説家の隠喩かもしれない。

「ウンブリアのわたしの家」は、ロマンス小説の作家が主人公。ひと口には言えない人生を送ってきたエミリー・デラハンティは五十六歳でイタリアのウンブリアに家を買う。ホテルに泊まれない旅行者に宿を提供するペンションのようなものだ。そして、夜はロマンス小説を書いている。そのエミリーがミラノに出かけた帰り、列車内で爆弾テロに遭う。多くの死傷者が出た。彼女も怪我をしたが、幸いなことに助かった。ただ、書きかけていた小説は頓挫した。あれほどあふれ出ていた言葉が出なくなってしまったのだ。

彼女は同じ事件で傷ついた三人の客を自分の家に招待する。退役した将軍は妻と娘とその婚約者をなくした。オトマーというドイツ人の青年は片腕と恋人を失った。エイミーは両親と兄と言葉を失っていた。悲劇に見舞われた者同士が寄り添い、時間をかけて回復していこうと思ったのだ。そうした中、孤児となったエイミーの叔父というアメリカ人学者リバースミスがエミリーの家にやってくる。

ロマンス小説の作家である主人公は他人の感情や思考を読み取ることができると思い込んでいる。その過剰な思い入れは、他人の事情を勝手に作り上げてしまう。そんなエミリーとリバースミスの実務的な気性とが真っ向からぶつかって起こすちぐはぐさが尋常でない。視点はエミリーに寄り添っているので、ややもすれば、エミリーの語ることを信じたくなるのだが、どこまでが彼女の想像で、どこからが真実なのか読者には知ることができない。もしかするとすべてが妄想かもしれないのだ。

なにしろ、彼女の頭の中ではテロ事件を起こした、まだ見つからない犯人はオトマーで、時限爆弾は恋人がイスラエルに持ち込む荷物の中にあったことになっている。この「信頼できない語り手」という方法を最大限に生かすことで、この小説は成り立っている。主人公の作家の口を通じて、小説がどのように書かれるかが詳しく語られるのだから、これはもしかしたらウィリアム・トレヴァーの創作方法と重なるのかも、と思いかけて、いやいや、その手に乗るものか、と思い直した。なにしろ、語り手は妄想を膨らませる名人なのだ。

トレヴァーが亡くなったと聞いた時、ああ、これでもう作品が書かれることはないのだなとがっかりしたものだが、未訳の作品がまだあるらしく、同じ訳者によって準備されているという。新作が読めないのが残念だが、また読めるのはありがたい。これからも楽しみに待ちたい。

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by abraxasm | 2017-12-03 22:08 | 書評

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