親に見せられない体
2009年 02月 09日
家にはいるのになぜ顔を見せないのか。業を煮やした家人はメールにこう打ち込んだ。
「親に見せられない体にでもなったのか?」
画面をのぞき込んで、あまりの突っ込みように、のけぞりそうになった。
そういえば、昨日行った日帰り温泉で、見事な彫り物をした初老の男性に出会った。こういう施設には、よく入り口に「刺青のある人はお断り」という断り書きがあるものだ。この温泉にはそれがなかったのだな、とあらためて気がついた。
背中には唐獅子、それだけでなく全身くまなく彫りこんだみごとな彫り物であった。どういう仕事をしている人だろうか。昔なら、鳶の親方といった感じの渋い男ぶりだったが。たしかに、コペン乗りが何人集まっていても風呂の中で威圧感は与えられないだろうが、背中に彫り物を背負った人が数人集まって、背中を洗っていると、ちょっと入るのに気後れしそうではある。
しかし、囚人の腕に入れる刺青(いれずみ)と彫り物は意味合いがちがう。彫り物のことを俗に「ガマン」と呼ぶように、痛さに負けぬ男意気を競ったものでもある。儒教道徳では親からいただいた体を大切にしないという意味で非難の目を向けられたりもするだろうが、一つの文化ではあろう。
日帰り温泉や公営プールで、あの断り書きを目にするたびに、彫り物があるために子どもを温泉やプールに連れてやれない人もいるのだな、と思うことがある。市民感情にそぐわないということだろうが、銭湯には、その手の断り書きはない。子どもをつれて銭湯に行っていた頃、よく彫り物のある人と一緒に入っていた。
お殿様でも○○○でも、お湯の中ではみな同じ、というのが温泉のいいところではないのだろうか。