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空襲と文学

W・G・ゼーバルトは『アウステルリッツ』で一躍有名になったドイツの作家である。
『空襲と文学』は、ドイツの文学者が、先の大戦中のできごとに対して沈黙を守っていることについて異議申し立てをした評論である。発表後、ゼーバルトの告発に対し、当の文学者たちから批判が起きたことはいうまでもない。「空襲と文学論争」と呼ばれるその論争についての作家の言い分をはじめ、戦後ドイツ作家のあり方を問うた「アルフレート・アンデルシュ」論他二編の作家論を所収。

「イギリス空軍の大勢が一九四〇年に是認し、四二年二月を以て莫大な人的資源と戦時物資を動員して実施された無差別絨毯爆撃が、戦略的ないし道義的にそもそも妥当であったのかどうか、あるいはいかなる意味において妥当であったのかという点については、四五年以降の歳月、私の知るかぎりではドイツにおいて一度も公的な議論の場に乗せられたことはない。詮ずるところ、そのもっとも大きな原因は、何百万人を収容所で殺害しあるいは苛酷な使役の果てに死に至らしめたような国の民が、戦勝国にむかって、ドイツの都市破壊を命じた軍事的・政治的な理屈を説明せよとは言えなかったためであろう。」

この後、ゼーバルトは、他の理由も挙げているのだが、長くなるので引用はここらでとめておく。
事態は日本でもそうは変わらない。東京大空襲をはじめ、日本各地を目標にした無差別爆撃について、日本は公的に議論したことがあるのだろうか。原爆の跡地に立つ碑にさえ「あやまちは二度とくり返しません」という意味の言葉が記されているのだから、日本人もまたドイツ国民と同じく「明らかな狂気の沙汰に対してぶつけようのない憎悪を胸にためていたにしろ、空襲の罹災者のうち少なからぬ者が、空襲の猛火をしかるべき罰、逆らえぬ天罰であるとすら感じていた」のではなかろうか。

先の戦争について、現役自衛官の論文が問題になったが、その陰謀史観は論外であるにせよ、内心共感している者も多いと聞く。戦後の日本人もまた経済発展と引き替えに戦争中の事態について冷静かつ客観的な分析をないがしろにしてきたように思う。そうした態度が今回のような問題を引き起こしたのではないか。

「もはや戦後ではない」というセリフはずいぶん前に聞いたが、そういうセリフを吐く人こそ、戦争中のできごとを明らかにしたくないのではないか。ゼーバルトの異議申し立ては、戦後ドイツの知識人の欺瞞的な態度に対して向けられたものであるが、日本においても戦後処理のどさくさに紛れて、過去をうやむやにして今に至った人々が政財界は勿論のこと文化人の間にも少なくない。臭いものには蓋をしてすましているが、蓋の下には腐敗したガスが充満して今にも爆発しそうになっている。国際的な不況、失業者の増大と点火要因はそろっている。つけは早いうちに払うにこしたことはないと思う。
by abraxasm | 2008-12-14 12:00 | 書評

覚え書き


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