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『私たち異者は』スティーヴン・ミルハウザー

『私たち異者は』スティーヴン・ミルハウザー_e0110713_14554006.jpgスティーヴン・ミルハウザーの短篇集。ほぼ中篇といっていい表題作を含む七篇所収。これまでのミルハウザーの物語世界と地続きでありながら、どこか新味を感じさせる作品が揃っている。どれも粒よりであることはいうまでもない。どこまでも手を抜かず精緻に組み上げた精巧な細工物のような世界は健在である。それでいて、造り物めいた手触りが控え目になり、より地に足がついたようで、古くからのファンは物足りなさを感じるかもしれない。

舞台となるのは、アメリカ映画によく出てくる、堂々とした街路樹が陰を作り、道路から程よく距離を置いた瀟洒な家が芝生を前に建ち並ぶ郊外都市。都会に近く電車等で通勤可能でありながら、静かで落ち着いた環境に恵まれている。治安もよく、人々も親和的。これまで何度もミルハウザー作品の舞台となってきた町であるだけでなく、平均的なアメリカ人が夢見る暮らしができそうな町である。

「平手打ち」はどこからともしれず突然現れた男が町ゆく人に平手打ちを食らわせ、そのまま姿を消す事件に見舞われたスモールタウンの話。シリアル・キラーならぬ、連続平手打ち犯(シリアル・スラッパー)はタン色のトレンチ・コートを着た男というだけで、被害者には犯人の心当たりがない。場所もちがえば相手も異なる複数の人間が被害に遭うことで、住民は疑心暗鬼に陥る。

そんな目に遭う見当がつかないとはいうものの、誰にでも過去はある。胸に手を当てて考えれば、思い当たるふしもない訳ではない。しかし、被害者の数が増えるにつれ、個人的な怨恨説は消え、住民全員への嫉みや憾みではないか、と論調に変化が現れる。新しい被害者が出るたび、新しい論議を生む。命にかかわる危険ではないものの、訳の分からない事件に巻き込まれた町の人々の間に高まってゆく不安な空気感。外見に変化はないのに、事件を境にかつては平穏だった町が、不穏な変貌を遂げる、ざわざわする恐怖感が半端ではない。

ミルハウザーの短篇が巧いのは、狙いを一つにしぼり、読者の眼をその一点からそらさないことである。「白い手袋」はまさにその好見本。仲のいい二人の高校生がいる。「僕」は学校の帰り、エミリーの家を訪ねては、彼女の家族と食事をし、スクラブルをして過ごしていた。ところが、ある日、エミリーは学校を休む。電話をしてもエミリーは出ない。それ以降、エミリーの左手はいつも白い手袋に被われている。

「僕」は、その白い手袋が気になって仕方がない。好奇心が募り、ついには深夜、勝手知ったるエミリーの家を訪れ、彼女の手から手袋を外そうとまでする。どうにかしてそれは思いとどまるものの、二人の間には以前とは違って壁のようなものが立ちふさがる。白い手袋は、エミリーが明かそうとしない秘密となって、二人の間に立ちふさがる。果たして、白い手袋の下に隠されたエミリーの秘密とは。何の変哲もない白い手袋を効果的に使った古典的スリラー。

モールの隣の広場に突然出現した<The Next Thing>と名乗る店はちょっと変わっていた。入口に大きなオフィスがあり、人が一人入っているブースがたくさんあって、通路が四方八方にのびている。店自体は地下にあった。初めは無視していた「私」だったが、次第に急拡大していく店舗にひきつけられてゆく。それは他の住民も同じで、高収入につられて社員となり、元の家を売り払い、地下にある最新設備つきの社員住宅に転居する。

新しい生活が始まる。空調と照明のせいで地上の世界と変わらない地下の暮らしに次第に慣れてゆく。しかし、収入がよくなれば、仕事はそれにつれて増える。仕事がこなせないと職を追われ、今や住む場所のない地上に帰るしかない。ノルマに追われ、息つく暇もない地下の暮らしは、作家にすれば空想の産物なのだろうが、兎小屋に住む働き過ぎのエコノミック・アニマルと揶揄された当時の私たち日本人のそれを嫌でも思い起こさせる。地下に住む大勢の奴隷労働者が、地上に暮らす一握りの上級国民の暮らしを支えるディストピア。そのモデルは日本なのかもしれない。

掉尾を飾る「私たち異者は」は、中篇と言っても通る長めの一篇。コネチカットに住む「私」は父の跡を継いだ五十二歳の医師。妻には去られ、再婚を考えていた矢先、軽い眩暈に襲われ、重い気分で寝床に入る。翌朝、私は「重みが胸からのみならず体じゅうから下りたような気」分で目を覚ます。そして、ベッドに寝ている自分を見つける。「私」は、その日を境に「異者」たちの仲間入りをした。

ふつう怪談は、古い邸に棲みついた幽霊を、そこに住む生者が見るものだ。「私たち異者は」は、それをひっくり返し、幽霊となってしまった「異者」の眼から、この世界を描いてみせる。死んだら自分はどうなるのだろう、というのは洋の東西を問わない問いなのだろう。医師という科学的な考え方をする人種だからか、キリスト教徒の国であるアメリカにあって、この「私」はかなり異端ではないだろうか。

しかし、ほとんど信仰というものを持たない、われわれ日本人にはなんだか馴染みのある死後の世界である。一人の独身女性の家に居ついた「私」と、どうやら「私」の存在に気づいたらしい、その女性と、その家を訪れた姪との間に繰り広げられる何とも奇妙な三角関係。幽霊の眼で見た死後の世界、という斬新なアイデアが光る、ちょっとユーモラスな異色怪談である。子の死後の世界をどう受け留めればいいのか、妙に気になる一篇。他に、ごく短いショート・ショート風の「刻一刻」、「大気圏空間からの侵入」、「書物の民」の三篇を含む。


by abraxasm | 2019-07-21 14:56 | 書評

覚え書き


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