『水底の女』レイモンド・チャンドラー

e0110713_17030332.jpg原題は<The Lady in the Lake>。サー・ウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』<The Lady of the Lake>をもじったもの。< Lady of the Lake>は、アーサー王伝説に登場する「湖の乙女」のことだ。この作品のもとになっている中篇「湖中の女」は、稲葉明雄訳『マーロウ最後の事件』の中に収められており、かつて読んだことがある。そこに登場する色男の名前がランスロットであることから、チャンドラーがアーサー王伝説を意識していたことはまちがいない。長篇となった本作ではクリス・レイヴァリーと名を変えている。

人物の名前こそ変わっているが、『水底の女』の骨格にあたる部分は、ほぼ「湖中の女」を踏襲している。主な舞台となるのは、ロサンジェルス東部の砂漠地帯サン・バーナディノ近郊のリトル・フォーン湖にある別荘地。それと別の短篇「ベイシティ・ブルース」の舞台となるサンタモニカがモデルといわれる海辺の町ベイ・シティ。既存の短篇を使い回して長篇に仕立て上げるのは、チャンドラーの得意とするところだが、本作に限っていえば、別の土地で起きた事件を同一人物の仕業にしたため、偶然の一致が多くなったのが残念だ。

チャンドラーの長篇の持つ魅力は、事件解決よりも、事件を捜査する過程で、探偵であるマーロウと他の登場人物とのやりとりや、マーロウが人物に寄せる感情の揺れを味わったり、マーロウの目を通して語られる富裕層の頽廃的な生活や、大都会に蔓延る犯罪組織とそれを事実上見逃す警察組織への批判に共鳴したりするところにある。ところが、本作は意外に律儀に謎解き推理小説をなぞろうとしているふしがある。

チャンドラーはフリーマンやハメットは別として、不必要な蘊蓄や不誠実な叙述の詐術を用いた推理小説を嫌っていた。本作にも名を訊かれたマーロウが「ファイロ・ヴァンス」と偽名を名のる場面がある。ヴァン・ダインへの揶揄だろう。それもあって、乱歩が「類別トリック集成」に挙げている中でも使用例の多いトリックを扱いながら、本作におけるマーロウによる語りは実にフェアなものだ。それがかえって、長篇ならではの脱線や遊びを遠ざけ、作品を窮屈にしている気もするが。

マーロウは香水会社を経営するドレイス・キングズリーから妻の捜索依頼を受ける。リトル・フォーン湖にある別荘に出かけた夫人が帰宅予定日に帰って来ず、エル・パソから打たれた電報には、離婚してクリスと結婚するとあった。妻の性格をよく知るキングズリーはそのまま放っておいたが、先日、そのクリスと市内で偶然出くわした。話を聞けば、夫人とは最近会っていないという。何か事件に巻き込まれたのであれば事業に影響が出る。それで探偵を雇ったのだ。

ベイ・シティにクリスを訪ねたマーロウは、向かいの家に住む医師によって警察に通報される。医師の妻は自殺しており、不審に思った妻の両親は探偵を雇って事実を調査していた。デガルモという強面刑事に町を出るよう威嚇されたマーロウが次に向かったのはリトル・フォーン湖。持参してきた酒を管理人のチェスに飲ませ、妻の家出の顛末を聞き出す。二人でキャビンに向かう途中、湖中に沈む女性遺体を発見する。損傷が激しかったが、夫は妻のミリュエルだと認めた。

これが題名の由来だが、実は死体は「水底」にはない。人造ダムを造ったことでかつての船着き場が水中に沈み、死体はその船着き場に邪魔されて浮かび上がってこれなかったのだ。つまり女は「水底」ではなく、文字通り「湖中」にいたのだ。その意味でいうと、『水底の女』という新訳の題名はあまりそぐわない。いつものように原題を片仮名書きにして『レディ・オブ・ザ・レイク』とでもしておけばよかったのに、とつい思ってしまった。

リトル・フォーン湖の遺体は自殺か他殺か。他殺だとしたら犯人は誰か。マーロウは保安官補のパットンに推理を語る。このパットンがいい。短篇ではティンチフィールドという名で登場する、ステットソンをかぶった田舎町の保安官補だ。肉付きのいい好々爺に見えて、その実見事な手腕を見せる名脇役だ。短篇を読んだときもそう思ったが、長篇ではなお一層魅力が増している。チャンドラーは女を描かせると、美しいが危険な人物にしがちだが、男性の場合は大鹿マロイをはじめ、憎めない脇役、敵役を多く生み出している。

村上春樹のチャンドラー長篇全七巻の翻訳はこれで最後。当初は、旧訳になじんだ読者から批判もされたが、今後はこれが定訳になっていくのだろう。村上訳の特徴は、原作に忠実なところだ。一語たりとも見逃すことなく、日本語に移し替えてゆく。ただし、その分一文が長くなる。それが冗長と感じる読者もいるだろう。たしかに、原文はおどろくほどシンプルな英語で書かれている。ただ、それをそのまま日本語に置き換えると、身も蓋もない訳になる。それをいかにもそれらしい日本語に置き換えるところに訳者は頭をひねるのだ。

一例をあげるとマーロウが香水の香りをたずねる場面で、問われたキングズリーが「白檀(びゃくだん)の一種だ。サンダルウッド種」と答えるところがある。旧訳では「チプレの一種だ。白檀(びゃくだん)のチプレだ」となっている。「チプレ」って何のこと?と思ってしまうが、「シプレ(シプレー)」はキプロス島のことで、香水の香りの系統を表す。原文は<A kind of chypre. Sandalwood chypre.>で「チ」と「シ」の読みまちがえは惜しいが、清水訳の方が原文に忠実なのがわかる。

しかし、これを「シプレの一種だ。白檀のシプレ」と正しく訳したところで、香水に詳しくない者にとってはチンプンカンプンだろう。註を使わず乗り切るためにわざと「シプレ」を省いて、白檀の訳語であるサンダルウッドを使うことで、分かりやすくしたのだと思う。村上訳は逐語訳や直訳を避け、原文を、読んで分かる日本語に解きほぐす訳を目指しているようだ。チャンドラーの長篇を村上氏がすべて訳してくれたことで、旧訳と比較しながら原文を読む愉しみが増えた。『湖中の女』には、田中小実昌氏の訳もある。これもいつか探して読み比べたいと思っている。

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by abraxasm | 2018-02-04 17:05 | 書評

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