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『ロスト・シティ・レディオ』 ダニエル・アラルコン

『ロスト・シティ・レディオ』 ダニエル・アラルコン_e0110713_11331422.jpg舞台はペルーの首都リマを思わせる架空の都市。反政府勢力との戦争が終ってから十年、首都は再建下にある。たった一つ残ったラジオ局のアナウンサー、ノーマは、政府による検閲済みのニュースを読むほかに日曜深夜の人気番組のパーソナリティーをつとめている。「ロスト・シティ・レディオ」は、聴取者からの電話を受けて、探したい人の情報を流し再会を仲介する、かつての日本にもあった「尋ね人」コーナーだ。戦争は終わったが、戦争に狩りだされた男たちの多くが家に帰ってきてはいなかった。

ある日ラジオ局に、ジャングルの村から、村を出て行ったまま消息不明の者たちのリストを携えて少年ビクトルがやってくる。戦争終了後、政府は戦争をなかったことにするため、かつての地図をすべて回収、焼却し、地名は数字に変わった。一七九七村は大量虐殺が噂された村であった。そのリストには、民族植物学者としてジャングルに出かけたまま帰らないノーマの夫レイの名があった。首都への旅に同行した教師なら知っているはずだ、という少年の言葉にすがり、ノーマはマナウというその教師を探す。

リアルタイムで行なわれるノーマとビクトルの首都における探索行についての叙述に、ノーマとレイの出会いから結婚、別離に至るまでの回想、レイの視点から説き起こされる、政府とその転覆を図る勢力「不法集団」(IL)との戦い、ビクトルの村での「タデク」にまつわるエピソード、といった複数の視点人物による複数のストーリーが、改行もなく突然に入り込んでくるポリフォニックな語りは、多数のピースで構成されたジグソウパズルを思わせる。あるピースが、全く関わりを持たないパートとパートを結びつけ、最後のピースを嵌めた時点で一枚の絵柄が完成する。

パズルの主題は戦争だ。不正選挙で再選を果たした大統領は買収によって集められた大群衆を前に「混乱を引き起こして公共の秩序を崩壊させる扇動者どもの不法集団」と戦うことを宣言する。政権が権力を維持するために仮想敵を持ち出すのはどこの国でも同じだ。敵が国外の場合もあれば国内にいる場合もある。「不法集団」とされるのは、リーダーもいなければ、組織さえはっきりしない、無数のゲリラやテロリストたちだ。首都から離れた土地で警察を焼き討ちしたり、騒動を起こしたりしながら首都に迫る。

一方、政府は軍を使って、検問や民衆による互いの密告、通報を受け、逮捕、拘留、拷問による転向といった手段で対応する。そのやり方に整合性などない。何か人と異なって目に付く表徴があれば、それが起きる。対象は誰でもいい。恐怖が疑心暗鬼を引き起こし、民衆は声を出すことをしなくなり、支配は容易になる。互いの勢力に供給できる人員が続く限り戦争は継続する。どちらかが人員を供給できなくなった時点が戦争の終わる時だ。

過去に逮捕歴を持つレイは、ノーマとの初デートの最中検問に引っかかり、矯正施設である「月」に送られる。そこは、無数のクレーターで地表を覆われた地雷原で、直立姿勢でいるしかない狭い穴に七日間放り込まれたレイは、政治運動から手を引くことを受け入れるしかなかった。しかし、そんなレイを「不法集団」は放っておいてはくれなかった。執拗に接近し連絡係にしてしまう。こうしてレイはいくつもの名前を持ち、首都とジャングルを定期的に行き来するようになり、首都ではノーマと、ジャングルの一七九七村ではアデルと暮らす二重生活者となる。

ビクトルにも触れたくない過去がある。戦争が終わった頃、村に食料を求めて現われたILの兵士が、タデクを行なった。麻薬効果のある植物を服用させ、譫妄状態になった少年を使って泥棒の犯人を当てさせる、古くからある方法だ。名指しされた者は両手を切り落とされる罰を受ける。ビクトルは友人の父、ザイールの両手を切らせた過去を持つ。そのザイールにも人に言えぬ秘密があった。金のため情報を流していたのだ。しかも犯罪小説ファンだったザイールは、自分が拵えた物語をその中に混ぜてしまうという罪を犯したのだ。

因果は因果を生んで、めぐりめぐる。ギリシア悲劇かシェイクスピアのそれを思わせる悲劇が、封建主義には遅すぎ、民主主義には早すぎる国家を舞台に繰り広げられる。王や為政者ではない名もない民衆が国家の戦争に巻き込まれ、傷つきながら、人としての思いを次の世代に託す。英雄でもない賢者でもない、どちらかといえば好い加減な生き方で身を処す男たちの等身大の人生を、押し殺したような声音で、息をつめ、ひっそりと物語った、ダニエル・アラルコンの長篇第一作である。

ヨーロッパと変わりない首都と、未開の自然を残し官能的な魅力溢れるジャングルの村。二つの土地を対比的に描き、そのどちらにも愛着を覚えながら、戦争という機械を動かし続けるための歯車のひとつになるしかなかった男。男を愛したために悲劇の主人公にならねばならなかった女。架空の都市といったが、どこの国のことでもある。

国民が知っておかねばならないニュースは流れることがなく、独立騒ぎや不倫騒動、学歴詐称のタレントを次々と名指ししつつ公開処刑にかける裏側で、着々と事態は進展している。権力によって「不法集団」とされた勢力は、とうの昔に壊滅され、この国では「戦争」の起きることを憂慮することさえできない。限りなく民主主義から遠ざかりつつある国にいながらこの小説を読むと、その超がつくほどのリアルさが身にしみる。ダニエル・アラルコンの罪は、小説をフィクションとして読む愉しさを奪ってしまうところにあるのかもしれない。
by abraxasm | 2016-03-30 11:33 | 書評

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