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『B面昭和史1926-1945』 半藤一利

『B面昭和史1926-1945』 半藤一利_e0110713_1632419.jpg一昔前のドーナツ盤レコードでは、裏表に一曲ずつ録音されるのだが、力を入れて売りたい曲の入った面をA面といった。それに対して、あまり売ることを期待していない方をB面といった。もっとも、予想に反してB面扱いされた曲の方が人気が出るということもあった。著者には、『昭和史』という力の入ったA面的な著作が既にあるが、正面きって日本の昭和史を語ったA面では採りあげなかった庶民大衆の暮らしの様子や娯楽といった側面に目を向けて、当時の世相を語ったのが本書である。まさにB面というにふさわしい。が、それだけでなく世の中には陽のあたるA面よりも日陰の身のB面を好む人種がいるもので、どうやら著者もその一人のようである。

大体、歴史について書かれた本で取り上げているのは、偉い政治家や軍人の話ばかりで、こういっては悪いがあまり面白いものではない。それに比べれば、当時の名もない一般の人々が何を考え、どんなものを楽しみに生きていたのかを知るほうが余程楽しいにちがいない。著者の語り口調も、それを意識しているのか、ざっくばらんにくだけた調子で、向島育ちの悪ガキが、そのまま大きくなって、気炎を上げているといった感じだ。

そうはいっても、昭和元年から、終戦の年までを扱うとなると、そうは庶民史ばかりを語るわけにはいかない。また、「阿部定事件」のように、世間の耳目を集めた話題をとりあげ、それがおきたのが二・ニ六事件の年であることを書かずにすますわけにはいかない。むしろ、逆で、教科書的な歴史の裏で、世に住む人々はどんな世相に目を向けていたかを知るためには、やはりAB両面を書いていくよりないようで、特に戦争が激しくなると、情報が統制され、新聞に載るのも軍部の検閲済みの記事ばかりとなって、あまり面白い資料は残っていない。そんな中、荷風散人や高見順など文人作家の戦時中の日記は貴重な資料になっている。

ふだんあまり歴史書など読まない自分のようなものが、なぜまた昭和史なんぞ読んでみようと思ったのか。実は、近頃の世間の様子がなんだか変だ。どうもきな臭い、と思い始めたからだ。安保関連法案が、ホウレン草でもあるまいに十把ひとからげで一括強行採決されたのにも驚いたが、現政権に対し批判的な番組(と目された)のキャスターが何人も降板したり、と以前のこの国では考えられないようなことが次から次へと起きてきている。

おまけに新聞やテレビが、どう考えてももっと報道するのが当然だと思う出来事をぱったりと報道しなくなった。外国の新聞やテレビが報道しているというのに、だ。この道はいつか来た道、と北原白秋ではないが歌いたくなっても仕方がないではないか。著者もあとがきで、そのことに触れている。

「国力が弱まリ社会が混沌としてくると、人びとは強い英雄(独裁者)を希求するようになる。また、人びとの政治的無関心が高まると、それに乗じてつぎつぎに法が整備されてくることで権力の抑圧も強まり、そこにある種の危機が襲ってくるともう後戻りはできなくなる。あるいはまた、同じ勇ましいフレーズをくり返し聞かされることで思考が停止し、強いものに従うことが、一種の幸福感となる。そして同調する多くの仲間が生まれ、自分たちと異なる考えを持つものを軽蔑し、それを攻撃することが罪と思われなくなる、などなど。そうしたことはくり返されている。と、やっぱり歴史はくり返すのかなと思いたくなってしまいます。」

それでは、ほんとうに歴史はくり返しているといえるのか。それは自分の目で読んでみるしかない。テレビや新聞が、われわれ民衆、著者の言葉でいうなら「民草」の知るべきことを報道し続けるという保障はどこにもない。知りたいことは自分で探るしかない。現に、すでに自国に不都合と思われることは新聞でもほぼ流れず、テレビは日本がいかに美しく、日本人はどれほど優れた国民であるかを強調する番組でいっぱいである。さて、このあと事態はどう進んでいくのか。

本書には、エログロ・ナンセンスに湧いていた時代から、終戦の詔勅に至るまで、日本が少しずつ戦争の泥沼に足を踏み込んでいき、ついに抜けられなくなってしまうまでの日本を取り巻く状況とそれをほとんど知らずに、まことに能天気に暮らしていた民草の泣き笑いが、たっぷりおさまっている。つまり、「あとになって「あのときがノー・リターン・ポイントだった」と悔いないためにも、わたくしたち民草がどのように時勢の動きに流され、何をそのときどきで考えていたか、つまり戦争への過程を昭和史から知ること」ができるのである。

いや、そんな心配いらないよ。戦争なんて考えすぎだろう、と思われる人にこそ、お勧めしたい。著者は焼夷弾など怖くないと教えられ、火の手に追われて死に損なっているので、根っからの戦争嫌いである。ただ、自分の考えを押し付けようとするところなど微塵もない。当時の自分がいかに何も知らなかったか、そして、当時は「また言ってるよ」と馬鹿にしていた父の洞察がどれほど確かだったかを今更ながらふりかえるだけだ。

今はまだ、「ノー・リターン・ポイント」までは達していないと思いたいが、どうだろうか。
by abraxasm | 2016-03-17 16:33 | 書評

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