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ブライヅヘッドふたたび

イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』は、発表当時さまざまな反響を呼んだという。なにしろ、それまでは、喜劇的作風で知られ、好んで風刺的な作品を発表してきた作家が、一転してカトリックの護教的な作品ともとれる一作をものしたわけだから、カトリック派には好評でも、ヘンリー8世がアン・ブーリンとの結婚のために、カトリックに決別し、イギリス国教会を開いた国柄からは、おおよそ好意的な反響は望むべくもなかった。それまでのウォーの作品に好意的であったエドマンド・ウィルソンでさえ、辛辣な批評をしているほどである。

一般的な日本人のように宗教とは無縁の国民には、キリスト教の教義はもちろんのこと、カトリックとプロテスタントの確執は、まずは分からない。それでも、カトリックが離婚を認めないことくらいは知っているかもしれない。アダムとイブ以来、結婚する男女は神が定めたものだという建前だから、勝手にくっついたり別れられては都合が悪い。しかし、男女の恋愛というのは、相手が既婚者であるかどうかをあまり問題にしない。そこで恋愛と宗教が問題になってくるわけだ。

イギリスのように、一般的には国教会に所属するのが大半である国では、カトリックは少数者となる。ところで、イギリスというのは階級社会でもある。貴族の中には、カトリックを信仰する者もいて、その子弟はオックスフォードやケンブリッジに入学する。この作品の中に登場する主人公とその友人、恋人たちは主に上流階級に属するが、その宗派は異なっている。しかも、親子であっても宗教に関する限り信仰心にちがいがあって、物語を進めるうえで、それが大きな役割を果たすことになる。

主人公のチャールスは、幼いときに母をなくし、世捨て人同然の父に育てられ、オックスフォードに入学する。そこで知り合ったのが、セバスチャン。侯爵の次男で、美しい容貌と奇矯な行動で知られる名物男であった。家庭の味を知らないチャールスにとって、セバスチャンの家族は、興味の対象となるが、セバスチャンはなぜか隠したがる。家族は誰も魅力的で、彼が知ればその虜となって自分は見向きされなくなってしまうからだというのだが。

前半は、セバスチャンとチャールズの同性愛とも見まがうほどの蜜月的なエピソードが描かれる。「かつて我アルカディアにもあり」というルネッサンスの名画の題が附されるほどの享楽的な日常が、ウォーの持ち味でもある風刺的な諧謔味を帯びた筆致で描出される。特に秀逸と思えるのは、主人公とその父親の会話である。主人公がオックスフォードで暮らすための金を得るために父と子が駆け引きする、この親子の距離感は絶妙で、この作品の白眉をなすといっても言い過ぎでない。

それに比べれば、もう一つの山場である嵐の大西洋の船中の密会もかすんで見えるほどだ。とはいえ、運命的な再開を果たしたチャールスとジュリアの一線を超えた逢引きは、船中の客がほとんど船酔いに苦しむ中で、二人だけで逢瀬を楽しむという、空前絶後のシチュエーション。このロマンティックな再会のシーンは他のどんな密会のシーンをも超えるのではないだろうか。映画化が企画されたらしいが残念ながら没となってしまったらしい。このシーンに限らず全編に渡って映画向きと思われる作品なのだが。<続>
by abraxasm | 2009-12-13 00:00 | 書評