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e0110713_13453034.jpgリチャード・バートンと聞いて、リズ・テーラーの夫だったこともある英国のハムレット役者を思い出す人も今は少なくなったかもしれない。僕等の頃は、まずそちらだった。もう一人のリチャード・バートンが何で知られていたかといえば、子ども向けの『アラビアン・ナイト』ではなく。大人向けに書かれたきわどい話の満載された『千夜一夜物語』の英語版の翻訳者としてである。バートン版による大宅壮一訳の日本語版が当時出版され話題になっていた(後に全巻読破した)。ほかに『カーマ・スートラ』も訳している、と聞けば興味津々ともなろう。

リチャード・フランシス・バートン(1821-1890)が、ナイル川の源流を探してアフリカ奥地を探検した探険家としても知られていたことは、映画『愛と野望のナイル』によって知った。博学であるだけでなく果敢な探険家でもあった人物に俄然興味が湧いた。そのリチャード・バートンの三度にわたる冒険旅行を小説にしたのがこの書である。第一部英国領インド、第二部アラビア、第三部東アフリカの三部構成。史実や資料は参考にしているが、小説である。といっても、別段ドラマティックな展開になっているわけでもない。著者が虚構と断っているのは、記述の工夫を指してのことであろう。

というのも、主人公はバートンだが、語りの中心になるのはバートンではない。第一部では、ヒンドスタニー語と英語がしゃべれることで雇われた従者ナウカラム。東アフリカ篇では、シディ・ムバラク・ボンベイという名のガイドがバートンについての見聞を第三者に話して聞かせるという体裁をとっている。バートン自身の手記が主となるアラビア篇においても、バートンをスパイと疑う総督と、彼を擁護するシャリフ、カーディーという現地の統治者たちの鼎談がバートンの語りと交互に配されていて、本人以外の視点導入による物語の多視点化という目論見は一貫している。

多視点で語る目的は、英国人仲間に交わろうとせず、現地のいかがわしい者たちと交流していたことから、本国ではスパイとも山師とも評され、いわくつきの人物として有名なバートンの行動の意図がどこにあったのかを明らかにするということになるのだろうが、映画『羅生門』の原作である芥川の『藪の中』では、三者三様の視点から事件を読み解くことで、真実というものが如何に相対的なものであるか、ということが焦点化されていたように、複数の人物の口を借りて語られるバートン像がひとつの人物像に重なることはない。

当時の大英帝国は世界各地に探険家を送り込んでは測量し、地図を作成し、せっせと領土拡大にいそしんでいた。バートンとてその一員であった。ただ、他の英国人のように未開の地を版図に納めることが目的ではなく、その地を訪れ、見知らぬものを目にし、現地の習俗に触れ、実地に体験することが彼の目的だった。そのためには、自分の故国や信仰などはなんの躊躇いもなしに棄てることができた。彼は、イスラム教を知るために割礼までし、識者とコーランについて論じ、命がけでメッカに巡礼しさえしている。

かといって、イスラム教に宗旨替えしたというのではない。その地の人々を知るには、同じ言葉を話し、同じものを食べ、同じ神に祈ることが必要だったからだ。これは、今なら文化人類学者の領域だろう。ヴィクトリア朝の英国にあって、バートンの真意は周囲に理解されるものではなかった。その語学力や民衆に好かれる魅力、死を恐れない行動力等を買われて、統治する国の人々の真意を探る任務についたことはスパイであったともいえるが、バートンはむしろ現地人になりきることを望んでいた。彼は現地の人々を理解しようともせず、利益だけを得、ヴィクトリア朝の偽善的な道徳や法で人々を律する英国のやり方をつねに批判し続けた。

未知の世界について知ろうとするとき、ともすれば既知の世界からの類推をもとにして、それらを収まりのいいところに整理し、秩序づけようとしがちである。そうすることで世界は今のままで安定し、揺るぎのないものとしていつづけることができる。これは未知を嫌い、既知を頼りとする生き方である。それに対して、つねに未知の領域に魅力を感じ、それを発見し、そこに生きることに喜びを感じる生き方を尊ぶ人々がいる。冒険家や探検家といわれる人々がそれである。バートンという人は、「見聞きする人」であり、「書く人」であった。どんな辺境の地にあっても、大衆の中に混じり、人の話や歌声に耳を澄ませ、紙片にメモを書き、孤独な時間を確保しては一日の出来事についての考えをまとめることを日課にしていた。

バートンがただの探検家でなかったことは、その書く行為に対する執着の深さが物語っている。しかも、自分が書いていることを見られるのを異常に厭う。現地人にとって、目の前の自然は当たり前の存在であってわざわざ書くに価することなどない。探検家にとって旅の目的は未知なる土地の発見である。その過程で目にするものにさしたる価値などない。バートンは、自分が一緒にいることを選び取った人々の中にいても孤独であった。いや、むしろ孤独でありたかった、といえる。だから、時間を奪うようにして書いたのだ。書くという行為は、世界を意味づける行為である。バートンのペンによって、世界はその姿を現すからだ。なんという興奮。

この小説は、バートンの近くにいて、彼を愛しながらも、心の底を知ることのできなかった従者たちの語りによって紡がれている。彼らにとって世界は何の謎もなくそこに存在している。それはインド人やアラビア人、アフリカ人といった人々だけのことではない。バートン以外の自分が英国人であることを疑わない在外英国人にとっても同じことだ。英国人でありながら、英国人でなく、インド人やアラビア人になりたがったバートンという人物は奇矯な人だったのだろうか。そうは思えない。西洋人らしい合理性や人権意識を保持しつつ、ヒンドゥー教の奥義やイスラム教の神への法悦境を感得できたなら、それはとても素晴らしいことだ。

二十一世紀を迎えても、キリスト教世界とイスラムの人々が住む世界とは相も変らぬ角逐をくり返すばかりだ。独善的で偏狭な世界観は他者を理解するゆるやかで広がりのある視点を持ち得ない。視点を覇権国家の側に置く限り、その位相に変化が起きることはまずあるまい。この小説を読んで共感できるのは当然ながら視点人物であるインド人従者やアフリカ人ガイドたちのほうだ。彼らが繰り出す古くから伝わる逸話や挿話が、深い知恵を帯びて人間理解を促すことに思わず愉しさを覚えた。彼らはその人格についてとまどいながらもバートンについて語り続けずにはいられない。それは彼らがバートンを大事に思っているからだ。理解は出来なくても人は他人を愛することができる。それはとても素敵なことだと思う。著者の語りの工夫は充分に功を奏しているといわねばなるまい。
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by abraxasm | 2015-12-31 13:46 | 書評
e0110713_1675517.jpg両親がマチネ・ポエティックの詩人(福永武彦と原條あき子)であり、自身詩人でもある小説家が、岩波文庫の中に収められた詩を材にとって、気ままに想像の翼を広げ、そこから思いつく異なる時代、異郷の詩人の詩との思いがけない出会いを綴ったもの。詩の鑑賞の手引きであり、批評であり、詩にまつわるエッセイでもある。こういう本は、小説なんぞとはちがって、読み終わった、などといいたくない。手元に置き、折にふれて読みかえすことこそふさわしい。

そういえば、福永武彦には『芸術の慰め』という、西欧の絵画、画家について論じた一書がある。その巻頭で福永は、「題名は如何にも物々しくて、ボエティウスの『哲学の慰め』とかジョルジュ・デュアメルの『音楽の慰め』とかに似ているが、わたしは向こうを張ってこんな題名をつけたわけではない」と弁明しているが、息子の方は、おそらく父の向こうを張ったにちがいない。というのも、池澤もまた福永がいうところの「聯想的方法」を採用しているからだ。

父は病を得てサナトリウムに起き伏すうち画集を眺め心を癒したという。そのときこれに面白い文章がついていたら、と思いついたのが前掲書を書くきっかけだったと述べている。息子の方は東北の震災を受けとめるにあたって、『古今和歌集』の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」の歌に指針を与えられたと書いている。危機に際し、誰もが自分の置かれた境遇に打ちのめされるが、芸術(この場合は詩)に触れることで、それが今の自分に一回限りのことでなく、すでにその思いを抱き、それに処した人びとのあることを知り、力づけられたり、共感したりすることで再び前を向けることがある。「なぐさめ」という言葉はそれを指しているのだろう。

岩波の『図書』に連載した文章を集めたもので、一時に書かれたものではない。敬愛する丸谷才一の死に接した折には、それについて書き、『古事記』を訳している時には、そのことを、と折にふれ、自分の日常から連想されることを詩と結びつけて自在に語るというスタイルである。優れた詩の紹介というのなら、今までに数多くの類書が書かれてきた。しかし、父の顰に倣ってか、子もまた詩歌の大海の中に自分を錨として沈めることで、他の誰にも書けないであろう種類の本を書くことができた。

自分を錨として沈める、という比喩は、ただただ彼方此方を漁って名詩を摘んでくるというやり方とはちがって、ほかの誰でもない一人の人間としての自分を基点にしているということだ。その自分とは何か。はるかな沖合いを泳ぐ魚に似たシェイクスピアに比べ、岸に放り出されて喘いでいる魚に自分たちを喩えたイェイツの詩を引きながら「人は感情は自ら湧くものだと思っているが、実際には与えられえたパターンの中から選んで身にまとっているのではないだろうか。(略)つまり、我々の感情さえも実は引用の原理の上に成り立っていると言える」とはなから言ってのける。

文学から文学を作るというのは、古今東西の文人、詩人がやってきたことであるから、洋の東西を問わず、広く詩を渉猟すれば、時を超え、空間を越えて、詩は詩と結びつき、響きあう。自分だけの感情と思えるものでさえ、きっとすでに誰かがもっと上手に表現しているにちがいない。だから、詩人は、自分の目にとまった一篇の詩を素材に、古くギリシャ、ペルシャの詩人を訪ね、六朝、唐の詩人を引いてくる。しかし、選ぶのは自分の眼である。だから、師事した丸谷や、全集編纂に携わった日夏耿之介、吉田健一、それにいつになく父に対する言及が多くなる。堀辰雄の書庫で読んだリルケの詩の話や、マチネ・ポエティックを批判した三好達治の話等々。

詩のいい点は、全篇の引用が可能なことだ。訳詩にしても、漢詩なら、白文、読み下し、現代訳と自在に載せられる。これが小説だとそうはいかない。その意味で、この一冊は名詩のアンソロジーの観を呈す。漢詩についてはしばらく措く。吉田健一訳のシェイクスピアの十四行詩、ディラン・トマスの「ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶」。ネルーダの『ニクソン殺しの勧めとチリの革命賛歌』と中野重治の『新聞にのった写真』といった苛烈極まりない詩などは、他の詩の鑑賞本ではおそらく読むことは叶わないのではないか。

こんな時代だから、詩について書いていても時局に対する批判めいた口吻が混じるのは致し方ないとは思うものの、マヤコフスキーの「見たことがありますか、/殴る人間の手を犬がペロぺロ舐めるのを」という詩を引いて、「この場面はついつい今の日本の某与党(もちろん小さい方)のふるまいに重なって見える。平和を標榜していたはずのあなたたちはどうしてそこまで変貌したのですか。標榜から変貌へ。政権党という餌はそんなにおいしいですか」と書いてしまうのは、少々レトリックが不足していやしまいか。気持ちはじゅうぶん分かるのだが、焦りや怒りをそのまま表出したのでは、それはもう文学を語る言葉ではない気がする。
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by abraxasm | 2015-12-23 16:08 | 書評
e0110713_1251141.jpg名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名前だけは聞いていても、『雨月物語』はともかく、色恋や女郎買いを主題とした『好色一代男』や『春色梅児誉美』などは、文章の一部すら目にしたことがない。ましてや山東京伝の名前は知っていても廓通いのガイドブックである『通言総籬』などは作品名さえ教科書や参考書には出てこない。しかし、出てこないから、大事ではないということではない。

「色好み」というのは、日本の文化・伝統というものを考えたとき、まず最初に指を折るべきところ。何しろ『古事記』の国生みからして、その話から始まるのだし、世界に名立たる『源氏物語』は全篇「色好み」の主題で貫かれている。というわけで、十七世紀から十九世紀にかけての日本文学を代表する作品として選ばれているのは、浮世草子、読本、洒落本、人情本というまあ、今でいうエンターテインメントばっかし。面白くないはずがない。そうはいっても、怖いもの見たさで現代語訳を読んでみた『雨月物語』を別として、あとの三作は原文はおろか訳文すら目を通したことがない、という体たらく。
それもそうだ。『平家物語』の書き出しのように人口に膾炙しているわけでなし、『源氏物語』のように、何度も映画化されていて、原作を読まずともある程度のストーリーに通じているといったキャッチーなところが少ないのだから。まあ、世之介という主人公はけっこう有名で市川雷蔵主演の映画でそのキャラクターも知ってはいたが。『源氏物語』五十四帖をパロディにした、こんな愉快な物語だったとは、現代語訳を読むまではとんと知らなかった。

これは、江戸時代前期の日本各地を舞台にした一種のピカレスクロマンではないか。女だけではなく若衆、つまり男も相手にした好きものの男の一代記。日本が諸外国と比べ、性に対してあけすけなのは知っていたが、これほどまでとは知らなんだ。ところかまわず、相手かまわずことに及び、子どもが生まれたら捨て子にし、どれほど一生懸命に口説いた相手でも、時がたてば別の場所、別の女にいれあげる。この世之介という男、とんでもない男である。その一方で、女にまことを尽くし、どこまでも連れ添おうとする律儀なところもある。価値観というものがそんじょそこらの男とはちがっているのだ。

長い戦国時代が終わり、徳川の世になったことで天下泰平の時代の空気のようなものがそうさせるのか、「金もいらなきゃ名誉もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」というギャグがあったが、世之介が欲するのはただただ色事に尽きる。歌枕を訪ねるように女を求め日本各地を漂泊する前半も読ませるが、親の遺産を蕩尽しようとして果たせぬ後半のアナーキーさがニヒリズムさえ漂わせ凄みをみせるのが、「好色丸」と名付けた船で女護ヶ島目指して旅に出る最後の場面だろう。バイトやヘルプという俗語も自然になじむ島田雅彦の現代語訳は読みやすい。各巻七章で八巻のみ五章の構成。短い章立てがテンポよく、飽きさせない。

中国白話小説を翻案し、日本を舞台にした怪談集の体裁をとる『雨月物語』は、円城塔訳。儒仏道の薀蓄を散りばめた上田秋成の原文を格調を失わない現代文によく移し変えている。「白峰」にはじまる怪異を描いて鬼気迫る迫力を見せるが、軟文学でないという点で他の三作に比べると異色。

いとうせいこう訳による『通言総籬』は訳者も言うように田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を髣髴させる当世カタログ風の出来。通人が当時流行っていた遊郭にあがって太夫を呼んで騒ぐ午後から夜明けまでの一部始終を、当時最先端の風俗をこれでもか、というように次々と繰り出してみせる、山東京伝の才気走った一篇。見開きページの右に本編、左に脚注を配した「なんクリ」ならぬ「ツーまが」。いちいち脚注に当たるのは面倒という向きは、本編だけでも読める程度に噛み砕いてくれているので安心。しかし、脚注で事細かに語られている当時の風俗、流行が何より興味深い。ちらちらと目をさまよわせて読むのも一興。

島本理生訳の為永春水は、かなり原作を改変しているようだ。といっても話の内容をではない。語りを、三人称ではなく主要な登場人物の一人称の語りにした点である。そうすることで、視点人物の感情が読者と共有され、まだるっこしいような男女間の情愛や、女同士の義理立て、意地の張り合いが、一気に分かりやすくなった。人情本本来の情調とは若干異なるのかもしれないが、時代小説のノリで読めるのはありがたい。多分、原文だったら最後まで読み通す気にならなかったと思う。

読まないでいてもいっこうに困らない、という点で名所旧跡にも似た四篇だが、まあ、一度読んでみても損はない。それどころか、日本文化が本来持っていた軟らかさ、なまめかしさ、艶っぽさ、仇、粋、といったあれこれが目の前に立ち現れてくるのがなんとも心地よい。極上の酒を、気の利いた肴をあてに口にしているようで、いやあ極楽、極楽。武張った今の世の中が、いかに日本を忘れてしまっているかを思い出させてくれる警世の書というべきか。
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by abraxasm | 2015-12-21 12:51 | 書評
e0110713_1158375.jpg黒澤の映画をリアルタイムで見はじめたのが、『影武者』あたりだからか、ずっと仲代達也に肩入れしてきたのだが、ある時期から古いモノクロ時代の黒澤を見て、圧倒的に三船敏郎のよさが分かってきた。『七人の侍』や『羅生門』の三船も野生的で他にかけがえのない役者なのだが、しみじみその好さが伝わってきたのが、『椿三十郎』だった。演技者としての三船が、人間的な深みや包容力を表現できるまでに成長したことを物語っているのだろう。『用心棒』の人気に気をよくして、あわてて作った続編ということもあるのだろう、黒澤も肩の力が抜けており、ほどよいヒューモアが漂っていてあまり気張りすぎていないところがかえって好ましい。

無論、三船の演技は演出家としての黒澤の力によるところが大きい。三船は役者になりたくて撮影所に入ったのではない。満州で写真館を営む家に生まれ、軍隊でも撮影班に所属していた。その関係で東宝の試験を受けたのだが、撮影の方に空きがなく、ニューフェイスの方に回されたのだ。入社さえしたら転属できると聞かされていたらしい。試験の際、面白くもないのに笑えるか、といって暴れた逸話は有名だが、それが山本嘉次郎監督や黒澤の目にとまり、『銀嶺の果て』に抜擢されることにつながるのだから、人生というのは面白いものだ。

黒澤明と三船敏郎の関係というのは、監督と主演俳優というだけではない、切っても切れない類のものだ。たしかに、黒澤がいなかったら三船敏郎という役者は存在しなかったろう。一方、三船がいなかったら、『羅生門』や『七人の侍』が、あれほどの話題を呼んだだろうか。『影武者』は、勝新太郎の降板を受けて、仲代が代役を勤めたのだが、初めから、あの盗賊役を三船がやっていたら、どうだったろう。三船なら、影武者になる盗賊も、武田信玄もどちらも見事に演じ分けたと思う。勝は盗賊にはぴったりだが、智将武田信玄の風格が伴わず、仲代は信玄ははまるが、盗賊が醸し出す道化役らしい面白さが不足していた。彼のせいではない。キャスティングの問題だ。黒澤と三船の関係が上手くいっていたら、完璧のキャスティングが可能だったものを。

黒澤の監督した映画一本、一本についてのフィルモグラフィーがあって、それに関わるように同時期の三船の出演した映画や海外での活躍が語られる形で書かれている。黒澤についてはこれまでにいくらでも書かれているし、『蝦蟇の油』という自伝もある。しかし、三船については、あれほどの役者としては驚くほど資料に乏しい。それは、三船敏郎という役者を日本は黙殺してきたということになろう。この本の中でも、長男の史郎のインタビューがそのほとんどを占め、役者仲間の貴重な思い出話が、その穴を埋めてくれている。

黒澤についてはほとんど知られた話ばかりで、『トラ・トラ・トラ!』の日本編監督降板の経緯について、青柳というプロデューサーの関与が日米間の理解の妨げになっていたことが明らかにされていることと、甥に当たる井上マイクという人物がかなり重要な役割を担っていたことがインタビューを通じてわかることぐらいが新味か。息子である久雄より、よほど核心に触れる話をしているのだが、今まであまり注目されてこなかった人物だけに、少し奇異な感想を持った。

黒澤明の映画がキネマ旬報のベストテンで、なかなか一位を取れなかったことが意外な感じがして、日本ではあまり理解されていなかったのか、と思ったのだが、参考にその年のベスト3に挙げられた作品名を見て驚いた。木下恵介や小津安二郎、川島雄三、といった監督の代表作が目白押しではないか。当時の日本映画界がどれだけ良質な作品を次々と生み出していたのかということにあらためて驚くとともに、隔日の感を覚えた。

著者ははっきり、二人の側に立って書いているので、気持ちよく読めるのだが、引用されている当時のアメリカの映画評は、かなりひどい。無論、中には優れた評者もいるのだが、はじめから、ハリウッド映画の下手な物まね、猿まね、と決め付け、ろくに作品を見ようともしないで低い評価をくだす評者もいて、「世界の黒澤」などという掛け声は、どこの国の話か、と思わされた。逆に、三船については、アメリカでの厚遇の例がいくつもあって、不遇な時期にはずいぶん慰められたであろう、と思った。

五社協定や東宝争議、独立プロブームといった当時の日本映画界の流れの中で、三船プロを存続させていくため、社長業のかたわら、テレビやCM、つまらない映画に顔を出して日銭を稼ぎ、会社につぎ込むことで、役者としての価値を下落させていった晩年の三船に対し、ジョージ・ルーカスやコッポラ、スピルバーグといった監督の応援を受け、復活を果たしていった黒澤。徐々に距離が生まれ、二度と一緒に仕事をすることがなかった二人の晩年を思うにつけ、この国の映画界の衰退と国力の翳りを思わないわけにはいかない。三船敏郎という役者については、単独で詳しい評伝、フィルモグラフィーが書かれるべきだろう、とつくづく感じた。
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by abraxasm | 2015-12-14 11:58 | 書評
e0110713_12111927.jpg一日のうちに再読することができた。さすがはベストセラー。読みやすさは保証する。主人公を書店主に設定した点で、ジョン・ダニングのクリフ・ジェーンウェイ物やカルロス・ルイス・サフォンのバルセロナ四部作を思い出させる。アイランド・ブックスは店主フィクリーのこだわりで文学関係が在庫の中心。犯罪小説や文学的探偵小説についても話には出るが、ミステリ色は薄い。それでも、E・A・ポーの稀覯書『タマレ-ン』が主人公の店から消え、そのかわりのように女の子が店に置き去りにされていた件などが、解かれるべき謎としてストーリーを前に引っぱってゆく役目を果たしている。

A.J.フィクリーは、大学院でE・A・ポーを研究し、学位論文まで書き上げていたが、後に妻となるニックと恋に落ち、妻の実家のあるアリス島で書店を開くため引越してきた。だが、店が軌道に乗ったころ、ニックが交通事故死する。それからは店の経営にも身が入らず、緩慢な自殺にも似た酒浸りの毎日。そんなフィクリーを変えたのは、店に残されたマヤという二歳の女の子と暮らしはじめてからだ。島で一軒の本屋を舞台に、孤独な男が本を通じて人と出会い、やがて別れてゆくまでの数奇な一生を描く。

各章の扉に、エピグラフ代わりにフィクリーが愛する短篇の表題と短いコメントが置かれている。これは娘マヤが大きくなってから読むために、フィクリーが書き遺した手紙のようなものだ。その章を象徴するというほどの強い意味合いは持たないが、そのなかにある「きみは、ある人物のすべてを知るための質問を知っているね?あなたのいちばん好きな本はなんですか?」という言葉が示すように、フィクリーという人物がどんな人間かを知るための手がかりとなる。先の引用はフラナリー・オコナーの『善人はなかなかいない』についてのコメントから抜き出したもの。フィクリーも、その恋人のアメリアもこの本が好きだ、という。未読の読者は読んでみたくなるだろう。

ほかには、ロアルド・ダールが二篇『おとなしい凶器』『古本屋』、スコット・フィッツジェラルド『リッツくらい大きなダイアモンド』、マーク・トウェイン『ジム・スマイリーの跳び蛙』、アーウィン・ショー『夏服を着た女たち』、J.D.サリンジャー『バナナフィッシュ日和』、E・A・ポー『告げ口心臓』、レイモンド・カーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』等々。短篇好きのフィクリーが選んだ作品のいくつかをすでに読んでいた読者なら、共感すること請け合いの憎い趣向だ。個人的に、『バナナフィッシュ日和』と『夏服を着た女たち』は大好きな作品なので、それだけでうれしくなってしまった。

子育ての経験もない男やもめと二歳の少女の新生活が始まる。それを見守るためには始終書店に出入りする必要がある。それまであまり本を読まなかった島の警察署長ランビアーズは、二人と話をするために犯罪小説からはじめ、次第に文学に近づいてゆき、ついには読書会を主催するまでになる。この人情味溢れる警官とか、義姉で妻の死後何くれとなく世話を焼いてくれる高校で演劇を教える教師イズメイ、出版社の営業担当として島を訪れ、次第に惹かれあうことになるアメリアといった脇を固める人物が、よく描かれている。ただの善人というのではない、陰影のある人物として生きている。そのほかの登場人物も、それぞれプロットに深く結びつく形で、小説の中でその人生をまっとうしている。

ニックと付き合わず、ちゃんと大学院を出ていたら今頃はアメリカ文学の博士号を得ていたはずのフィクリーが周りの人と交わす小説についての話が楽しい。バイトの少女モリーが読んでいるのはアリス・マンロー。マンローの新作はどう?、とフィクリーに聞かれたモリーが「人って、なんだかわかんないけど、ときどきすごく人間的になるみたい」というと、「思うに、そこがだいたいマンローのいわんとするところじゃないかな」と店主が答える。マンローも好きな作家だが、フィクリーもよく読んでいるらしい。もっとも、プルーストの『失われた時を求めて』は第一巻で挫折している。短篇好きの彼らしいところだ。ランビアーズと話すのは、ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズで、イズメイとはアーサー・ミラーの戯曲『るつぼ』というふうに、相手が替わるととり上げるジャンルがが変わるのだが、フィクりー自身は変わらない。冒頭に出てくる嫌いな本の羅列は読みどころだ。マヤと交わす話も、成長するにつけてとり上げる作品が変化してゆく。彼がコメントを残さなくてはならなかった理由も最後になるとわかるようになっている。

マヤがこの島に来た理由も、ポーの『タマレーン』が盗まれた理由も、最後に明かされる。とってつけたようにではなく、なるほどそうであったか、というふうに落ち着くべきところに収まるのは、やはり、よく練られたプロットによるのだろう。再読してみて、そのまま読み過ごしていた箇所にそれとなしに伏線が張られていたことを知り、あらためて作家の技量に気づかされた。今後が楽しみな作家の登場である。
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by abraxasm | 2015-12-11 12:12 | 書評
e0110713_14331638.jpg岸本佐知子編訳による、「子ども」をテーマにした短篇小説のアンソロジー。十一人の作家による十二篇の作品が集められている。どれも、独特の味があり、読書にかかる時間の割りには読後の余韻が長く残る。編訳者の好みによるのだろうが、通常「子ども」と聞いたときに思い浮かべる世間一般的な、愛くるしく、天真爛漫な、誰もが頬っぺたにキスしたくなるような、そんな子どもは登場しない。人によって、好きな作品が分かれるだろうから、個人的な感想になるが、心に残った作品をいくつか紹介しておこう。

まずは、エトガル・ケシット作『ブタを割る』。バート・シンプソン人形が欲しいとせがむ「ぼく」に、父さんは陶器のブタの貯金箱を渡し、コインを貯めてそれで買えという。「ぼく」は、ブタに名前をつけ、友達のように話しかけ、日を過ごすのだった。やがて、やがてその日がやってくる。ブタを割って、人形を買え、という父さんに一日の猶予をもらった「ぼく」がしたこととは。遠い日々を思い出し、鼻の奥のほうがつんとなった。

同じ作家からもう一篇。日本にも原爆記念館などには語り部と男ばれる老人がいて、忘れてはいけない悲惨な過去を語ってくれるが、主人公の少年はユダヤ人。ユダヤ記念館でナチスの蛮行を怒りをこめて語る老人から、ドイツ製品は「どんなに外側はきれいに見えても、中の部品や管のひとつひとつは、殺されたユダヤ人の骨と皮と肉でできているのだ」と聞かされる。ところが家に帰ると、旅行から帰ってきた両親の土産はアディダスのサッカーシューズだった。少年の感じる居心地の悪さが、それを履いてサッカーに興じるうちに変容を遂げる。イノセントな少年の揺れ動く心理を描いて秀逸。

悼尾を飾るエレン・クレイジャズ作「七人の司書の館」は、中篇といっていい長さで、短い作品が多いアンソロジーに喰い足りない思いを感じる読者にとって何よりのプレゼント。コミュニティ・センターとショッピングモールの傍にできた新しい図書館の開館の陰で閉館に追いやられた図書館の話。どこかの国にありそうな話だが、これはそんな生々しい話ではなく、タイトルから知れる通り、白雪姫のパスティーシュ。閉じられた図書館で暮らす七人の司書のところに、ある日バスケットが届く。中に入っていたのは延滞料の代わりの可愛らしい女の赤ちゃん。その子ディンジーは、映画『汚れなき悪戯』のように、七人の司書によって育てられる。司書たちは、成長したディンジーを自分たちの仲間にしたいと思うのだったが…。図書館のがでてくる話は、どれも大好きなのだが、なかでもこれは、小人ならぬ七人の司書たちの個性の描き分けが上出来で、お気に入りの一篇になった。

アンソロジーのお楽しみは、これで終わるのでなく、ここから始まる新しい作家、作品との出会いがあることだろう。自分の好みは、少々感傷的であっても、後味のいい作品らしい。もっととんがったものがお好きな人にも喜んでもらえる作品も数多く揃っている。立ち読みでも読める程度の長さの作品がいくつもある。手にとって見る価値はあると思う。
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by abraxasm | 2015-12-08 14:33 | 書評
e0110713_12362798.jpg山本義隆という名前を聞いて、ああ、と思い出す人は世代的に限られているだろう。在野の物理学者として、素人にもよく分かる物理学の歴史を説いた良書の筆者として知られているが、東大全共闘のリーダーとして、当時新聞紙上を騒がしていた名前である。東大安田講堂をめぐる機動隊との攻防は、一月の寒い日だったので、放水車が大量の水を浴びせるテレビ画面を、こたつの中に手まで入れながら、食い入るように見ていたのを覚えている。もちろん、学生側を応援していたのだ。

その山本氏が『私の1960年代』という本を出した。それまで、東大闘争について語ることを自ら禁じていたのか、市井の一学徒として主に科学に関する本しか書いてこなかったと記憶している。敗軍の将、兵を語らず、の心境でもないだろうが、ひとつの見識ではあると思ってきた。その人が何故今頃になって、過去を語ろうとするのか、と疑問に思い手にとった次第である。

ここには二人の山本義隆がいる。物理を学ぶ学生として東大に入学しながら、学内に蔓延する矛盾に気づき徐々に闘争に近づいていくうちに、いつの間にかその中心人物となってしまっていた自称「ほとんどノンポリ」の東大生、山本義隆がその一人。もう一人は、闘争に敗れ、拘留された結果、東大に残ることもなく、就職も公安に邪魔され、予備校講師をしながら、地道にこつこつと独自に研究を続けてきた在野の老学徒の山本義隆である。

60年安保に始まり、安田講堂占拠を経て、逮捕、拘留にいたる東大全共闘の闘いのあらましを、およそアジテーターにふさわしくない、人の話をよく聞き、考え、行動する真摯な大学院生の口から聞くことで、あの闘争とは何だったのか、東大という大学の持つ意味と、その問題点が明らかにされる。

山本は、当時のアジビラをはじめ、大量の資料を駆使し、東大が明治に始まる、殖産興業、富国強兵の掛け声のもとで産・学・官・軍の複合体として、国家の政策といかに一体化してその命脈を保ってきたかを暴いてみせる。当時は、目の前にいる総長や教授といった東大当局との戦いに明け暮れていて、はっきりしなかったことが、時を経て、その本質的な意味が雲が晴れるようにくっきりと見えてくる。

大学の自治などは初めからなかったのだ。国や企業から資金提供を受けた大学における研究行為は、すべて国及び企業の利益に結びついていた。それは、四大公害、沖縄基地問題、三里塚闘争、そして3.11の福島までずっと続いている。

先の戦争に敗れたのは科学力であると考えた日本は、戦争に対する真摯な反省をすることなく、戦後はその科学力を用いて高度経済成長期に発展を遂げる。昔軍隊、今経済、というのが相も変らぬ日本人の意識構造であった。その経済が思うように伸びず、行き詰った時、頭を擡げてきたのがまたもやファシズムだ。次の二つの引用を福島や沖縄の問題と考え合わせて読んでみたい。

「ちなみに,福島の原発事故ののち、ドイツとイタリアは「脱原発」を表明しました。これは将来的に核武装をすることはないという国際的メッセージなのです。それにたいして日本政府は事故後も原発に固執する姿勢を崩していません。そのことは、外国からは、日本が核武装の野心を棄ててはいないと見られることであります。外国から見られるというだけではなく、日本の支配層の本心でもあると、私たち自身も見るべきなのです。」

「民主主義について言うと、民主主義擁護の主張が、ときには権力による支配体制維持の隠れ蓑になるということが、次第にわかってきました。制度として体制に組み込まれ、単なる手続きと堕した民主主義が秩序として現出する場合、その秩序から取り残されるマイノリティを生み出してきます。そのマイノリティが自己主張するとき、その秩序に手をかけることを強いられ、それがときに暴力的な形をとらざるを得なくなるときがあります。そういうことを無視して、のっぺらぼうに「民主主義を護れ」というだけでは、場合によってはむしろマイノリティを抑圧することになりかねないということが、私たちに意識されてきたのです。」

この時期だからこそ、山本はもう一度皆の前に現れ、過去を語る必要を感じたのであろう。本書は2014年に行われた講演に加筆したもので、です・ます調で書かれており、読みやすい。民青や丸山真男に対する批判、深作欣二の映画『仁義なき戦い 代理戦争』に寄せる共感などには、若い山本の情念が感じられ、親しみを覚える。一方、戦争当時は天気予報さえ秘密とされ、戦争が終わるまで報道されなかったことをはじめ、昭和になって名古屋、大阪に作られた旧帝大には文科系学部がなかったことなど、今に通じる国の政策について教えられることの多い本である。一読をお勧めする。
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by abraxasm | 2015-12-07 12:37 | 書評

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