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飛騨高山

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高山に行って来た。今年の夏の旅行のシメになるだろう。
日帰り旅行限定だから、どこへでも行けるわけではない。
行って帰ってくるだけなら、もう少し足も伸ばせるだろうが、それは少々きつい。
観光も少し入れるとなると、行った先で三、四時間の余裕はほしい。

まだまだ日が長いから、12時間使うとして、往復8時間の旅程だ。
高速料金1000円乗り放題の週末を使うとしてどこまで行けるだろうか。
ただ、名古屋都市高速が途中に入るので、1000円乗り放題が使えないのが癪の種だ。
愛知県も考えて、割引はしているが、乗り継ぎまでは保障しないのでメリットが少ない。

白川郷と白山スーパー林道を走って日帰りしたのが去年の旅行。
その途中、高山への道が大雨で通行不能になっていたのを思いだした。
妻に聞くと、まだ行ったことがないという。こちらもずいぶん以前に行ったきりだ。
各務原にある日本三大仏の一つ、正法寺の篭大仏とあわせてコースを決めた。
この篭大仏、大きさは奈良、鎌倉に次ぐが、中身は空気のはりぼてである。
木下直之氏の著書で読んで以来、かねがね一度は拝みたいと思っていたのだ。

当日は9時に伊勢を出発。伊勢高速は快調に進み、東名阪を清洲東で出て一宮へ。
一宮から東海北陸自動車道に乗った。各務原で少し雨に降られたが、すぐ止んだ。
問題はその後に起きた。渋滞発生である。ぎふ大和から高鷲まで6キロの渋滞だそうな。
どうしてこんなに調子よく走っているのに渋滞が起きるのか、わけが分からなかった。
愚かである。現場に行けば誰でも分かる。そこから片道一車線分しか道がない対面通行。

去年は正規の料金を払って走ったのだった。今年は、土、日1000円の割引を使っている。
そのことをすっかり忘れていた。乗り入れる車の量がまるっきりちがって当たり前だ。
かといって、東海北陸自動車道はすべて山の中である。トンネルと高架ばかりの道が続く。
途中で出ようにも抜け道のない、いわば道なき道。二進も三進もいかない。進退窮まった。
二車線から一車線に入るところまでがやたら長い。途中に仮設トイレが増設されていた。

しかし、である。ひるがの高原にほど近いこのあたりは、まるで北ヨーロッパを思わせる。
トウヒや樺の森が続き、片屋根の別荘風の家があちらこちらに点在している。
丘の上にすすきの穂が、真っ青な空には秋を感じさせる鰯雲がどこまでも広がっている。
昨日までは夏だった、今日はもう秋。まるで、ボードレールの詩のようだ。

その清々しくも気持ちいい景観を満喫しながら、車はじりじりと進んでいく。
高鷲を過ぎると、追い越し車線がところどころに設けられ、車の走りはもとに戻る。
飛騨清見で、高速を下り、中部縦貫道という自動車専用道路で高山に直行である。
道路に「古い町並み」の文字があって矢印が出ている。なんと親切なことと思ったが…。
よく考えてみれば、観光客が市民の生活ゾーンに進入しないように手を打っているだけだ。

標示に従って進むと、交通案内係の手信号に従って知らぬ間に駐車場に案内されていた。
このあたり、システマティックでなかなか上手いやり方だと思った。伊勢も考えねば…。
近くの駐車場は満車で、少し離れた駐車場しか空いていなかった。古い町並みまで歩く。
上三之町まで来たら、見覚えのある喫茶店を見つけた。写真にあるのがそれだ。
三十年前にもここに入った記憶がある。蔵を修復して喫茶店にした有名な店だ。

とうに正午は過ぎていた。町歩きの前に腹ごしらえと思ったが、けっこう人が並んでいる。
目の前の飛騨牛の看板につられて暖簾をくぐった。「空いてますか?」と聞いた。
カウンター席に案内されてメニューを見ると、飛騨牛のカツ定食が2600円。
ひよって、豚にしようかと思った。そちらは千円安くなる。妻の顔を見てやめた。
やはり、ここはブランドの飛騨牛を食べることにした。ロースとヒレのカツ定食。

見かけも味も近頃ではなかなかお目にかかれないオールドファッション。
古い町並みを売りにしている上三之町に相応しいといえば言えるかも。
とにかく、お腹はくちくなったので、町をぶらついた。しかし、人が多い。
古い町並みはおろか、人の頭ばかり。そこに道いっぱいに人力車が通るからいけない。
仕方がないので、店に入る。町並みと言えば聞こえがいいが、これでは商店街だ。

土産物やら食べ物を売る店、中でも多いのが酒屋。高山にはなぜ酒屋が多いのだろう。
飛騨は家具が有名。三川屋というもとは酒屋で今は家具も展示している店に入った。
階段箪笥の気に入ったのがあったのだが、どこに置くのか決まらずあきらめた。
高山陣屋の前で、醤油味のみたらしだんごを頬ばる。一本70円也。これは美味かった。

駐車場まで歩いて車を出した。二十分で百円という計算で800円払った。
一時間いくらというよりも、分単位で時間を刻むのは合理的なやり方かもしれない。
飛騨の家具のアウトレットが近くにあるというので、そちらに回った。
古い木造の小学校を移築して、アウトレットにしていた。
飛騨の家具は前から好きで、カウチと丸テーブル、椅子二脚セットが家にある。
そろそろ傷んできたので修理を考えている。ここなら相談に乗ってくれそうだ。
残念ながら、掘り出し物はなく、白木のブックエンドだけお土産に買って帰った。

帰りの渋滞がすごい。飛騨清見の料金所前から渋滞が続いていた。ここから17キロ。
一車線の区間は全部渋滞ということになる。北陸方面からも流入するわけで一応納得。
四季桜を見に行ったときの渋滞以来慣れたとはいえ、17キロというのは半端じゃない。
覚悟を決めて乗り入れたものの、長かった。渋滞から抜け出たときには日が暮れていた。
もちろんのこと、篭大仏はあきらめた。参観時間はとうに過ぎていた。

一宮でも少し渋滞して、伊勢に帰ったのが九時前。P・Aで買った鱒寿司を夕飯にした。
往復560キロ。前日も300ほど走っている。車の走りは絶好調である。
帰りの伊勢高速は快調に走ることができた。ただ、路面の凸凹は何とかならないものか。
跳ね上がって下りるとき舌をかみそうでこわい。無料になれば、直す財源はないだろうし。
月末の投票日がますます不安になってきた。
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by abraxasm | 2009-08-24 10:46 | 日記

六華苑

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六華苑は桑名の山林王諸戸静六が建てた明治洋風建築を代表する傑作である。
洋館の設計者は鹿鳴館を設計したことで知られるジョサイア・コンドル。
二階建ての本館部分にコンドルお得意の円形の塔屋が付属する。
コンドルの設計では塔屋は三階建てのはずだった。建築的にはその方が均整がとれている。
当主静六氏が揖斐川の眺望を楽しむため、四階建てに設計変更したものらしい。

円形の塔には、外壁の曲面に沿うように窓ガラスも曲面ガラスを使用するという凝った造り。
もちろん、当時の日本に曲面ガラスを作る技術はなく、わざわざ英国から輸入したものだ。
それだけのことはあったのだろう。当主は客がくると塔に上げ、景色を見せて喜んだという。
残念ながら見学者は二階までしか上がれないが、塔屋部分から外を見ることはできる。
丸い小部屋からは曲面ガラス越しに、七里の渡しまで見通せたにちがいない。

金銭欲はない方だが、眺めのいい部屋や静かな庭園のある家屋敷には羨ましさを覚える。
洋館からは、そのまま廊下が隣に立つ純和風建築に通じている。
当時、洋館だけの建築はまれで、和館の併設は珍しくなかったという。
いくらハイカラぶっても畳の生活からは離れられないということか。
開け放した日本間の開放感というのは洋館では味わうことができない。特に夏がそうだ。

広い敷地を贅沢に使った回遊式池泉庭園と生い茂った木立が建物を取り囲んでいる。
畳の上に座ると、縁側越しに風が行き交う。木立の間を吹き渡る風は夏でも涼しげだ。
こんなところに寝そべって、聞くともなしに蝉しぐれや、すだく虫の音を聞いていられたら。
夏なら絣の浴衣に兵児帯を締め、沓脱石に置いてあった下駄を履き、そのまま庭に出る。
敷石伝いに池を巡る道をそぞろ歩けば、詩の一つや二つは浮かんで来ようというもの。
「ああ羨ましい」と、ひとしきり嘆息をして屋敷を後にした。

玄関の向かい、英国式の薔薇庭園の中にレストランが開いていた。
料理はフレンチだという。ちょうど昼時だったので、ここで食事をとることにした。
まず運ばれてきたのは、浅蜊や芝エビ、烏賊などのシーフードサラダ。
サフランのジュレが上に掛けられてソース代わりになっている。サフランのゼリーが絶品。
次はトマトの冷製スープ、バジルオイルが浮かせてある。その濃厚な風味に驚いた。
アントレは、妻が舌平目のポワレ。私は肉をチョイス。
軽く炙った赤身ロース肉の下にはトマトソースのかかった茄子が敷いてあった。
デザートは数種フルーツのテリーヌとマンゴーのシャーベット、最後に珈琲。

ランチ程度の価格だったが、料理は本格的なフレンチ。特に色使いが素晴らしかった。
これなら、家や庭を見なくても、ときどき食べに来たいと思った。
日帰り旅行なので、食事のポイントは高い。今日は大満足であった。
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by abraxasm | 2009-08-22 19:39 | 日記

蕎麦屋をさがして

さっきも通った道だな、と見覚えのある家の構えで気がついた。
住宅街の細道をあっちからこっち、こっちからあっちへと行ったり来たり。
友人から教えてもらった蕎麦屋がこの辺にあるのだが、見つからない。
以前に一度探して見つからなかったので、あきらめていたのだけれど…。
二、三日前雑誌で紹介されているのを読んだら、俄然見つけたくなってきた。
この前は、昼休みだったので、午後の仕事に間に合うようにあわてていたこともある。
今日なら時間をかけて探すことができると、勢い込んできたのだったが。

さっきから同じところをくるくる回っている。まるで狐に化かされたような気がしてきた。
見かねたのか、妻が車を降りて、通りがかりの人に尋ねてきた。
「そこの二つ目の角を入って、次は左に折れて、その次を右にいったところ。」
教えられたように行ってみてもさっき通ったところに行き当たる。
邪魔にならないところに車をとめ、もう一度、今度は自転車の人に訊いてみた。
「スーパー・マーケットの裏あたりにあったはずだけど、今日は閉まってるのかな。」
との返事である。そこなら通ってきたはずだけど、と首をひねりながらも再度行ってみた。

すると、柿渋色の暖簾が掛かっているではないか。大きな一枚板に店名も書かれている。
どうして、最初にここを通った時、これが目に入らなかったのか。
「十二時にならないと、暖簾を出さないとか?」と、妻が自信なげにつぶやいた。
でも、看板までは外さないだろう。店の前に一台白いクラウンがとまっていた。
その無造作な停め方が、店の客というのではなく、住人のようであったためかもしれない。
ブロック塀が長く続いていて、向かいはスーパーの裏手という地味な場所のせいもある。

無理してやっと三台分のスペースしかないので、車はスーパーの駐車場に停めた。
食事の後そのスーパーで、夕飯の買い物をする予定だからいいだろう。
店は新しかった。畳の部屋に座る。妻は天ざる、私は鴨ざる蕎麦を注文した。
あちこちに置かれた壺や古道具がそれらしい雰囲気を盛り上げている。

小盛りのそばが二段のせいろにのって出てくる。せいろ二枚で一人前くらいの量。
蕎麦は細めに切られ、一本の長さも短めだ。まずは何もつけず蕎麦だけ食べてみる。
こしはあるが、特にこれと言った味ではない。つゆに浸けて食べてみると、醤油辛い。
山葵は蕎麦にじかにつけていると最後までもたない量なので、つゆに入れた。

鴨は、別の皿にローストされた薄切り鴨肉が五枚、上に白髪葱を背負って供される。
切り方が薄いこともあり淡泊な味だ。鴨は、もっとしっかりした味わいであってほしい。
そば打ち用の部屋がガラス越しに見えている。どうやら手打ちが売りのようだ。
蕎麦湯もいただいたが、もとのつゆにダシがきいていないのでもう一つ物足りない。

年齢のせいか、昼は蕎麦や饂飩が胃にやさしく感じられる。
行きつけの蕎麦屋を求めて、市内を探し歩いているのだが、どこもどんぐりの背比べ。
松阪の悠庵が、今のところいちばんのお気に入りだが、なにしろ山の中である。
店を閉めていることもあって要予約だし、思いついた時に、食べに行ける場所ではない。
ジャズが流れていたり、アンティークが飾ってあったりと、雰囲気作りに凝る必要はない。
もっぱら普通の蕎麦を、それなりに美味しく食べさせる店だったらそれでいい。
思い立ったら歩いていける、そんな蕎麦屋に出会いたいと思う今日この頃である。
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by abraxasm | 2009-08-21 14:39 | 日記

旅行気分

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毎日世話を焼かなくてはいけない食客がいて、なかなか家をあけられない。
かためて休みをとっても、泊まりの旅行にはここしばらくは行っていない。
晴天が続き、遅ればせながらの夏らしい日が続く。
昨日、タイヤを替えたので、調子を見がてら鳥羽まで走ることにした。

高速から続く有料道路もあるのだが、この辺で朝熊道と呼ばれる裏道を行くことにした。
交通量が比較的少なく適度にカーブが続く道だ。グリップの良さとやらを味わいたいもの。
残念ながらゆっくり走る車に前をふさがれ、タイヤの性能を引き出すどころではなかった。
パンでも買って帰ろうと英国女王も泊まられた鳥羽国際ホテルへ向かう道に入った。

さすがにリゾート地に建つホテルだ。ロビーから鳥羽の海が一望できる。
前にも何度も来ているのだが、夜が多く、夏の海を見るのは初めてだった。
誰もいない喫茶ラウンジの席に座ると、夏の海がひとりじめできる。
湾内にクルージング中の大きな船が停泊していた。しきりに艀が行き交っている。
あのクラスの大型船が入る港はこの辺にはないのだろう。

窓の下には木々の繁みと岩礁が迫っていて、鳶やもう少し小型の鳥が旋回している。
珈琲を飲み、妻のサヴァランを味見して、しばらく時を過ごす。
知らない人が見たら泊まり客だと思うだろう。
ただただ時を過ごすためだけに海を見ているのもいいものだ。
相変わらず客は誰も来ない。宿泊客は今頃はどこかを観光中だろう。

考えてみれば、国立公園内に住んでいるのだ。
ニースやカンヌとまではいかないが、家から少し出れば観光客だらけの町である。
その気になれば、居ながらにして避暑地気分になれる。
ホテルを出て、二見にあるレストランで昼食。
ここも、一昔前は海水浴客で賑わった町である。海水浴発祥の地ではなかったか。

ひとしきり旅行気分を味わって、家に帰る。
ニケが飛び出てきたので、籐椅子を出して腰かける。
昼下がりの気だるい気分である。ときおり車の音が消えて静かになる。
蝉の声が大きくなる。青い空に浮かぶ白い雲。昔ながらの夏だ。
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by abraxasm | 2009-08-20 13:57 | 日記

カフェ・ドゥ・ニケ

さすがに、ここ何日かはお盆休みで、日中家にいることが多い。
ふだんは昼寝ばかりしているニケだが、僕がどこにも行かないことに気づいたらしい。
それなら、と玄関前に出してくれと扉の前で待つようになった。
玄関前は煉瓦タイルが敷き詰められた階段に続いている。
ニケは、この煉瓦タイルの上とキャット・ウォーク以外には出ていこうとしない。
かつて出て行ってひどい目にあったことを覚えているのだろう。
とはいえ、野良猫が来たりすれば、以前のように追いかけるようなことがあるかもしれない。
監視の目は一時たりとも弛めることができないのだ。

朝、新聞をとりに出るときも少し出してやるのだが、その時はすぐに家に入る。
しかし、昼間はどうやら急いでないことに気づいたようで、長々と寝そべるようになった。
キャンプ用の腰かけに座って待っていたのだが、小さすぎて少々苦しい。
そこで、寝室に置いてあった肘掛けつきの籐椅子を持ち出した。

両開きの玄関扉を片方だけ開けたままにして、その蔭に椅子を置いた。
陽射しがきつく、北向き玄関には、はや西日が差してきているからだ。
ニケは、日陰のタイルの上で仰向けになり、お腹のピンクの地膚が透けて見える。
ひとしきり、風に長い毛を揺らせたら、今度は日向に出て日光浴を楽しんでいる。

なかなか、中に入ろうとしないので、書斎から読みさしの本を持ってきた。
ポール・ニザン作『アデン・アラビア』。新訳である。
「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」
という有名な書き出しで始まる、『アデン』は、夏の陽射しのもとで読むにふさわしい。
否定の身ぶりが露わな文体は、初めは抵抗があるが、慣れればその清新さに魅了される。

ヨーロッパの街角には広場があって、カフェがテーブルや椅子を外に置いている。
束の間の夏の陽射しを惜しむかのように、人々は外の椅子に好んで座っている。
イスラム圏であっても、縁台や椅子に腰かけては、日がな男たちはミント茶を啜っている。
ただ、そうして時間をつぶしていることが、旅行者にはすごいことのように思えたものだ。

玄関前に籐椅子を出し、じっくり座ってみて、案外気持ちがいいことに気づいた。
こうなると、適当な丸テーブルがほしくなる。さすがに麦酒はまずいだろうが。
グラスの表面に水滴がびっしり貼りついた麦茶なんかを用意して。
足下にニケがいれば、通りがかりの人もさほど変には思わないだろう。

期間限定、カフェ・ドゥ・ニケの開店である。
ついでに渋い焦げ茶色のパラソルなんかはどうだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、もう飽きたのか、ニケは家の中に入ってしまった。
ニケがいないと、ちょっと格好がつかない。せっかく出した椅子をしまった。
カフェ・ドゥ・ニケ本日は閉店である。
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by abraxasm | 2009-08-14 17:44 | 日記

湯の峰温泉

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久しぶりの夏空にどこかへ出かけたくなった。盆帰りの帰省客で車の混雑が予想される。
そういうときは、迷わず南に下ることにしている。川湯も渡瀬も行ったことがあるが、
湯の峰はまだだ。下道を走っていくことにした。150キロほどの道のりである。
高速が開通していれば、あっという間だが、途中まででは有難味が少ない。
42号線で大台経由紀伊長島に出る。そこから尾鷲、熊野へ。
七里御浜の手前にある立石南の信号で紀和町へ通じる311号に乗り換えるルート。

昼前に紀伊長島に到着。少し早いが、あぶり真鯛丼で昼食。妻は海鮮ちらし。
このルートでは、ここがいちばんのお気に入り、まず外すことはない。
国道沿いにはなぜかラーメン屋が多いが、入ってみたくなるような店は少ない。
魚の旨そうな土地なのだから、もっとその手の店がふえてもいいと思うのだが。

311号はいつものようにほとんどだれも通らない。気持ちよくステアリングを握る。
湯の口との分かれ道で橋を渡り細い道に。しばらく山道が続くが、やがて311号に戻る。
川湯、渡瀬への道を教える標示を過ぎると、湯の峰はすぐだ。
あっけなく着いた。広い駐車場があり、車はそこに停めて歩く。

小さな川が上の方から流れていて、その両岸に旅館が建ち並ぶ温泉街の風景である。
日盛りの真夏の午後のせいか、人通りはまるでなく閑散としている。
橋の向こうに大きな木と石碑が見える。寺らしき屋根も見えるので、そちらに向かう。
橋の下に温泉が湧き出るのだろう周りに柵をした湯筒が見える。
有名なつぼ湯はその向こうにあった。小栗判官蘇生の地と書いた幟が立っている。

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写真では、つぼ湯がもっとよく見えていたが、今は、すっかり囲われていて中が見えない。
石段を下り、戸を開けてのぞき込んだ。小さな、本当にひとり入るのがやっとのお湯がある。
手を突っ込むとかなり熱い。周りを板で囲まれて暗くて狭い。入湯料が780円。
見ておくだけにした。近くに公衆浴場がある。そこではいることにした。

松竹新喜劇にいた曽我舎五郎八によく似た受付のおじさんは、
「昨日までは天気が悪かったけど、今日は暑いなあ。」と言った。
「ここらは、もっと涼しいかと思ってきたけど。」と言うと、
「ここは夏は暑いし、冬は寒いので有名なんや。」
「そらまた、なんで。」と聞くと、
「そら、下から湯が湧いたある。」
「なるほど、そしたら冬は暖かいやろう?」
「いかんがな。冬は日がささん。」
「それもそうやなあ。」
と、言ってるところに妻がやってきた。
券売機にはくすり湯と一般の二種類がある。シャンプー、石鹸が使いたければ一般だそうな。
「どっちがええの。」と聞いたら
「そりゃあ、くすり湯やろ。源泉百パーセントや。」
というので、シャンプーはあきらめてくすり湯の方へ。一人380円也。

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くすり湯は入り口は一つで、中で男湯と女湯に分かれている。
他に客は誰もいない。貸し切りみたいなものだ。湯は熱からずぬるからず。
透明だが、硫黄臭がある。開け放した窓から涼しい風が入り、屋根も高く露天気分である。
手足を伸ばし、ゆっくり入り、窓辺で体を冷ましてはまた入ると、二三回もしたら充分。
ひとりで貸し切り気分もいいが、間がもたない。

せっかく汗を流しても、すぐにまた汗になるのが、夏の温泉の厄介なところ。
温泉街の散策はまた涼しい頃にすることにし、車にもどってエアコンをかけ走り出した。
帰りは、新宮によって香梅堂の鈴焼というお菓子を買って帰ることに。
何の変哲もない昔風の菓子なのだが、妻のお気に入りだ。
新宮に入って橋を渡ってすぐと聞いていた。反対側の通りにそれらしき店を発見。
車を止め、妻が歩いて買いに行くものの、何分待っても帰ってこない。

痺れを切らして店の中をのぞいたら、なんと行列ができている。
仕方がないので、店の駐車場に車を停めて待つことしばし。次から次へと車がとまる。
なんで、こんなに客が、と思った。本当にごく普通の昔ながらの味なのだ。
盆の手土産用に買う人が多かったようだが、その人気恐るべし。

少し時間がかかったので、帰りは高速を利用した。大台から伊勢まで割引で半額650円。
確かに高速は速い。もっとも、片側一車線なので、遅い車の後につくとイライラさせられる。
制限時速は70キロなのだ。24年までには紀伊長島までのびるようだが、選挙次第だろう。
民主党が勝ち、高速料金が無料になったら、一車線の道に車が溢れ、渋滞まちがいなしだ。
政治に興味はないが、高速料金無料化が、どんな結果になるのかだけは見とどけたいと思っている。
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by abraxasm | 2009-08-13 14:08 | 日帰り温泉

ハザール事典

ハザールは、もと遊牧民の国家。カガンと呼ばれる君主をいただき、7世紀から10世紀、カスピ海と黒海にはさまれる地方一帯に定住したといわれている。10世紀後半にルーシ(ロシアの古名)によって滅ぼされた一国家が歴史に名を残しているには理由がある。実はこのハザール、滅亡する直前に固有の古代信仰を捨て、ユダヤ教に改宗している。ユダヤ民族でない国家がユダヤ教を奉ずるのは他に例がない。ユダヤ教改宗以前にイスラム教に改宗したという説もあり、改宗に至る経緯が謎を呼び、現代に至るも論議がつきない。

そのハザール改宗という史実をネタにして『ハザール事典』という一大偽書をでっち上げたのが、セルビア生まれの作家ミロラド・パヴィチ。実は『ハザール事典』という書物は17世紀に一度出版されている、というのがパヴィチの設定。初版一部は毒物をしみ込ませたインクで印刷されていたので、読んだ者は次々と死に見舞われるという『薔薇の名前』を地でいく惨劇。世に出た版も教義問答を含むことから禁書とした宗派もあり、原書は散逸してしまう。わずかに残されたテクストの断片を収集し、新たに項目を立て、事典の体裁で出版されたのがこの第二版『ハザール事典』というわけである。

それでは『ハザール事典』には何が書かれていたのだろうか。すべては、君主カガンが見た一夜の夢にはじまる。不思議な夢の解釈に悩んだ君主は、夢を見事に解いてみせた学者の信じる宗教に国を挙げて改宗するという褒美をつけ、夢占いに長けた学者三人を各地から呼び集めた。招聘に応じた学者はイスラムの行者、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道僧の三人である。

これには元ネタと考えられる話がある。林達夫によれば、ボッカチオの『デカメロン』、レッシングの『賢者ナータン』ほか、それ以前に幾つもの原典を持つ『三つの指輪の物語』がそれだ。カリフがユダヤ教のラビを陥れるため、父の遺品の指輪を相続するのは三兄弟の誰であるかを言わせようとする話である。三人のうち誰と答えても、カリフの奸計に落ちるところをラビは上手く言い抜けて助かるという話だ。無論三兄弟とは、同じ神を父と仰ぐ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教を指している。君主が賢者に三者の優劣を尋ねるという設定は両者に共通する。

原典となる話には、宗教における寛容という寓意があるのだが、ポスト・モダンの作家であるパヴィチは作者の特権を行使しない。『ハザール事典』は、三つの宗教の立場から書かれた三冊の書物の合本という体裁を持っている。キリスト教修道僧の話を書きとめた『赤色の書』には、当然のことながらキリスト教に有利な解釈が書かれている。それは残り二つの書物でも同じで、真相は『薮の中』というわけだ。芥川の原作を映画化した『羅生門』でもそうだったが、異なる世界を一つの平面で並べて解釈するためには、三つの世界を往還することのできる狂言回し役が必要になる。言語も宗教も異なる三つの世界をつなぐのが<夢の狩人>である。

ハザールには<夢の狩人>と呼ばれる異能の人々がいて、他人の夢に入り込んではその夢を見ることができたという。星の観察から天文学が生まれたように、そうして見た夢の観察記録を網羅した大辞典を創造しようというのがハザールの古代宗教であった。このあたり、フロイト学派を意識しているのかもしれない。17世紀に入り、ハザール論争の中にその鍵を発見しようと、三つの宗教を信じる国からハザール学の権威が現れる。どうやら三人は互いの夢のなかに出入りできるようなのだ。

ユーゴスラビアからセルビアへと国家体制が変わるたびに、そこに住む人々は人種や宗教、イデオロギーの対立に翻弄され続けて来た。夢を見ることは誰にもできるが、夢から覚めたら現実が待っている。現実が夢より良いものとは限らない。だったら、その現実からはどうしたら覚めることができるのだろう。それには意識のある状態のままの覚醒しかない。意外にそれが、一見読物としての面白さに徹したように見えるこの作品に隠された作者のメッセージなのかもしれない。

千夜一夜物語を想わせる入れ子状の構造を駆使し、カガンや王女アテー、それに三人の学者という<ハザール論争>の当事者、その事跡を書き記した年代記作者たち、そして<夢の狩人>の系譜を引く、いわばハザール学の権威たちが、論争当時、初版『ハザール事典』が出版された17世紀、そして現代という三つの時代を「生まれかわり」や「夢のお告げ」によって自在に往き来する物語を創り上げたのは作者の構想力の賜物である。

『ハザール事典』という「偽書」を、実在の歴史と綯い交ぜにすることで、まるで現実に存在する書物のように仕立て上げた手腕は並々ならぬものがある。世界を「一冊の本」として創造することは、マラルメをはじめ多くの先達が夢みてきた。この第二版『ハザール事典』一巻は、その夢の神殿に捧げる新たな貢ぎ物としての資格を十二分に持っている。ボルヘスやウンベルト・エーコが創造した知的迷宮の伽藍を彷徨い歩くことが好きな読者には何をおいてもお勧めする究極の一冊。ただし、『ハザール事典』には「男性版」と「女性版」があり、その内容は一部異なる。作者はそれぞれの版を読んだ男女が語り合う姿を夢想している。読書という孤独な作業がそれによって報いられるように、と。
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by abraxasm | 2009-08-09 18:01 | 書評

夏の海

昼食を食べに志摩半島に向けて車を走らせた。
週末というのに、さほどの混雑もみせず伊勢道路に入った。
生いしげった木立の作る陰が、カーブの続く坂道を斑に染め、別荘地に続く道のようだ。
「遠くから来た人には感じのいい道かもしれないね。」と妻が言った。

神宮林だからか、清流伝いにのびた道の周りはいっかな開けることもなく山林のままだ。
パールロードができてからもバイパスとして利便性が高い伊勢道路を利用する人は多い。
初めての人はカーブの連続する山道の運転が慎重になるのも無理はない。
追い越しもできないので、ずっと何台もの車が続くことになる。

鵜方にあるイタリア料理店は、団体客が借り切っているのか40分待ちだと言われた。
少し前まで、近くに小さな仏蘭西料理店が店を出していて、よく利用したものだが。
いまは松阪に進出し、休日になると予約のいる店になってしまった。
人気が出て固定客がふえればそういう結果になるのはやむを得ないことだが残念だ。
気安くいつでも行ける店というコンセプトをもっと大事にしてもいいのじゃないかと思う。

仕方がないので、エドイチへ。ところが、ここもいっぱいだった。
タウン誌に情報が載ると、それまで来たことがない人も来るようになる。
タンシチューで知られた店だったが、先代の死後は、ランチメニュー目当ての客がふえた。
それを食べてみた。鶏肉を玉葱で巻いてカツにしたものと、ビーフ・コロッケだった。
妻はビーフ・コロッケが気に入ったようで、これだけまた食べにくると言っていた。
ビーフ・コロッケだけの単品メニューもあるのだ。

ライスと一緒に食べても腹六分目という軽いランチで、胃にはやさしいかもしれない。
せっかく来たので、海を見て帰ろうということになった。店の前の坂道を下り、右折する。
浜島の海は絶景だった。いつもの駐車場が、海水浴客用の有料駐車場になっていた。
道の傍らにあるあずまやの横に駐車スペースがあるので、車を停めた。

住民の夕涼み用か、日陰のベンチに座って堤防越しの海を眺めた。
低い雲が水平線の上に湧いていて、張り出した岬の上にかかっていた。
カメラを持ってこなかったのが残念なくらい見晴らしのよい夏の海だった。
太平洋までつながる海は、消波ブロックの向こうで激しく波が打ち寄せていた。
一方、ブロックのこちらは波のない穏やかな海で、泳ぐ人もほとんどいない。
岬の上を舞う鳶の上下動を目で追いながらしばし休んでいた。

南伊勢を回って帰ってきたが、岬一つ回ると海の様子がまるで変わるのに驚いた。
あるホテルの下の浜辺には、台風の余波を思わせる高波が押し寄せていた。
一方で、遠洋漁業の基地となる港町は波一つない長閑な景観を見せていた。
ランチの後の散歩がてらに見る景色にしては雄大すぎたかもしれないが、
満足な休みをとっての、遊びらしい遊びもしていないので、いい気晴らしになった。
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by abraxasm | 2009-08-09 11:42 | 日記

夏の朝

玄関前に置いた大ぶりの水甕の上からホテイアオイの葉が大きく突き出している。
刻みの入った甕の縁伝いに蟻が這い上がってゆく。
M・C・エッシャーの絵のように葉の表から裏側へと蟻の行列がつながっている。

雑貨屋で見つけた白い陶器の大小の球が繁りに繁ったホテイアオイの陰に隠れている。
近所の人に
「お宅のホテイアオイは元気がいいわねえ。どうやって冬を越させるの?」
と、訊かれたが、なんのことはない。妻の実家から毎年分けてもらっているだけだ。
お父さんはどうしているのか、と妻に聞いたら、
「毎年買うのよ。」
と、こともなげに答えた。なあんだ。そうだったのか。

水甕のわきに、料理用に買ったバジルの残ったのを植えたら、大きく育った。
においが気に入らないのか、蟻はバジルのほうには決していかない。
そのかわりショウリョウバッタがすみついて、せっかく育ったバジルの葉に穴をあける。
日本原産でもないバジルのどこが気に入ったのか、せっせと葉を食い破っている。
料理に使うときは、穴のないのを探すのに骨が折れるので、ときおり手で茎をゆすぶる。
すると、慌てて飛び出すのがおかしい。

バジルの芳香が手に移り、顔に手が伸びるたびに鼻腔をくすぐる。
向いの家の向日葵も大きく伸びた。その上に白い雲の塊がむくむくと広がっている。
今日も暑くなりそうだ。
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by abraxasm | 2009-08-08 09:17 | 日記

覚え書き


by abraxasm