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ロング・グッドバイ

『さよなら、愛しき人よ』を読んだら、『ロング・グッドバイ』が、もう一度読みたくなった。
なにしろ、こちらの方は、村上春樹の新訳、清水俊二の旧訳に、原書まで揃っている。
次の『リトル・シスター』が、いつ翻訳されるかは分からないし、今あるもので愉しもうと思ったわけだ。

村上訳の『ロング・グッドバイ』を、久しぶりに再読した。二年前に出たとき、原書も買っておいたのだが、転勤と重なって、ゆっくり読むことができなかった。旧訳とは照らし合わせて読んだのだが、原書まで手が回らなかった。そこで、今度は、村上訳を読んだ後、原文を読んでみた。

清水訳と比べて、原文に忠実に訳されている村上訳を読んでから、原文を読むと、ほとんどそのまますらすらと読んでいけることに気づいた。ときどき分からないところがあると、それは今の日本の読者には分かりにくかろうと村上春樹が意訳しているところだった。

村上春樹も言っているが、どうして、こんな書き方をしなければならないのだろうと言いたくなるような文章が、ところどころに登場する。もってまわった言い回しに加え、チャンドラー自身もおそらくどこかから引っぱってきたと思われる俗語の多用が、よけいに話をややこしくする。

清水訳では、そういうところをあっさりとカットするか、意訳と言っていいのかどうか疑問になるくらい自由な訳になっている。

たとえば、泥酔したテリー・レノックスに妻のシルヴィアがかける言葉の冷たさを形容して、清水は「娘の態度がアイスクリームのように冷たくなった。」と訳している。これが、村上訳だと、「彼女の舌の上では今や、一匙のアイスクリームだって溶けずに残りそうである。」になる。もちろんこれが原文に沿った訳である。こういう極端な修飾の仕方がレイモンド・チャンドラーの持ち味なのだ。特にシニカルな比喩が大の得意だ。

村上訳が出たおかげで、チャンドラーのスタイルが手にとるように分かるようになった。村上春樹は、原文と清水訳を手許に置きながら何度も読んだという。これからの読者は、村上訳と原書を照らし合わせながら何度も読むのだろう。その時、清水訳もぜひ用意するといい。清水訳の方が、原文に近い訳であることもあるからだ。

たとえば、マーロウの家で目覚めたレノックスが、家に帰るためにタクシーを呼んでくれと頼む。それに対するマーロウの返事。村上訳では、「よければ送ってあげよう」だが、清水訳は、「一台待っている」だ。原文は“You've got one waiting”だから、清水訳の方が原文の雰囲気を残している。こういう洒落た言い回しがチャンドラーを読む愉しさであることを思うと、村上訳は読者に対して親切すぎる嫌いがあるかもしれない。

それは、ハードボイルド探偵小説というジャンルを意識した清水訳と、フィッツジェラルドやヘミングウェイの流れを汲む準古典小説という位置づけを意識した村上訳との差とも言えるだろう。とにかく、そういった点もふくめて、これから、いくつか気になる点を紹介していこうかと考えている。
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by abraxasm | 2009-05-31 22:02 | The Long Goodbye

フィネガンズ・ウェイク

きっかけは、『ジョイスと中世文学』という本だった。著者は宮田恭子という人で、イギリスモダニズム文学の研究者らしくウルフやジョイスに関する本をこれまでに何冊も出している。新聞のサンヤツ広告で見つけて図書館にリクエストしておいたが、当然市の図書館で購入されず、隣の県の図書館からやっと回ってきた。

で、さっそく読んだ。副題に「『フィネガンズ・ウェイク』をめぐる旅」とあったので、てっきり『フィネガンズ・ウェイク』の解説本と思ったのだったが、これはこちらの早とちり。ほんとうの旅の話だった。といっても、『フィネガンズ・ウェイク』ゆかりの場所の旅というのでもない。はっきり言ってしまえば、ゴシック美術を見て回る旅の話だった。

それというのも、ジョイスは中世に関して強い関心を寄せていて、フィネガンの中にも聖フランチェスコや聖アントニウス、ダンテの『地獄篇』、錬金術等々についての仄めかしが数多く見つかるという(フィネガンは柳瀬訳につまずいて未読)。

本の中身だが、かつて読んだことのあるエミール・マールのゴシック美術に関する本などを参考にしながら、フィネガンに出てくる記述と対応する図像を現地に出向いて自分で撮影した写真も使いながら丁寧に解説してくれている。特に新味はないが、初めてゴシック美術に触れる人には親切な解説本である。

ただ、少しかじったことのある者には、今さらというところもある。これはまちがったかな、と思いながら読み進めているうちに、著者の訳したフィネガンを苦もなく読んでいる自分に気がついた。柳瀬訳にあれほど手こずって、とうとう棒を折ってしまったフィネガンをだ。

なんと、著者はすでに『フィネガンズ・ウェイク』の抄訳を発表していた。これを放っておく手はない。すぐに注文した。数日後届いた本は、丸谷訳『ユリシーズ』を踏襲した和田誠による装幀の美本。厚さも同じくらいで、解説、脚注も『ユリシーズ』と同じ形式だった。抄訳といっても、各章の初めと終わりはきっちり訳してある。全体を翻案するのではなく、一部を割愛し、その部分は解説というやり方だ。

これなら、割愛した部分がどうしても読みたければ、原書で読むなり柳瀬訳を頼るなりすることもできる。とにかく、あの難物を身近に引き寄せてくれただけでもお手柄である。はじめに『ジョイスと中世文化』で、読んであるので、その部分に来ると、あ、ここは知ってるぞ、という気持ちになれる。これがありがたい。

というわけで、連休はジョイス三昧。抄訳を読み終えたら、柳瀬訳にも再挑戦しようかと考えている。この本は、そういう読者を多数作ったのではないか。不勉強で今まで知らなかった抄訳に出会わせてくれたという点で、みすず書房刊の『ジョイスと中世文化』に感謝したい。
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by abraxasm | 2009-05-03 18:45 | 書評

覚え書き


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