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四季桜

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またもや三連休である。
別にどこかに出かけなくてもかまわないのだけれど、ヘーゲルのいうとおり、「欲望とは他人の欲望である」。
他人がどこかに出かける予定があると、それでは自分もと思うようにできているのだ。
そんなわけで、日本国中連休になると物見遊山のドライブ客で道路は渋滞し、観光地は混雑を極める。
自分だけは、そんなばかな真似はしないと思っていても、人は一人で生きてはいない。
三日も休みがあれば、一日くらいは人並みに過ごさないと、世間様が許してくれないような気がする。
そこで、ついどこかに出かけてしまうわけだが、今回は新聞、TVで紹介されている最中の四季桜だ。

ところは愛知県豊田市小原町。旧名の小原村の方がにつかわしい山間の寒村である。
この村には春秋二回咲くので四季桜と呼ばれる桜の木が村中に植えられてる。
特に秋には満開の桜と楓や欅、公孫樹の紅葉、黄葉が妍を競って、その艶やかさが評判になっている。
今を盛りに咲く桜見物ともなれば、人出が予想されるので、いつもなら警戒して近づかない。
ところが、今回、ついうっかり、つれあいに、「どこに行きたい?」と聞いてしまった。
その答えが、「四季桜なんかどう?」だったわけだ。

早朝割引のタイムリミットである9時までにゲートインしようと大慌てで家を出て、5分前に料金所を通過。
ところが、運転免許証を持つのを忘れたことに気がついた。引っ返すか、妻に運転を任せるか。
思い悩みながらジャケットのポケットを上から叩くと、何やら手応えが。
昨日妻の車に乗せてもらって出かけた際に、まさかの時の用意に入れておいたのが幸いした。
まだ湾岸を知らないナビの代わりにGoogleの地図から出したルートガイドを頼りに走り出した。

途中渋滞に巻き込まれることもなく無事に走行し、東海環状を出て一般道に入ったところで車が止まった。
見ると、道路脇に「和紙のふるさと小原村」の看板が…。もう、ここから渋滞!
動いては止まり動いては止まり。今までなら絶対引き返したであろう長丁場をじっと我慢の子だ。
我ながら人間ができてきたな、とあらためて思ったことであった。
空は秋晴れ。ぽっかり浮かんだ綿雲が今を盛りの欅や櫟の黄葉の枝先にひっかっかっている。
まるで別荘地のような雑木林の中の道だから、何とか我慢できたのかも知れない。

高速を下りたのが11時半。だんだんお腹もすいてくる。
開けた窓から沿道の食堂から鰻を焼く臭いが漂ってくるともういけない。
公設市場にたこ焼きの幟を見つけたので、妻に買いに行ってもらった。車はとろとろ動いている。
後から歩いても追いつくだろうと思ったが、渋滞中でも人間の歩く速度よりは速いらしい。
息を切らして追いついた妻の手には五平餅が二本。「まだ焼けてないって。これだけしか買えなかった。」
それでも、つきたての餅に味噌の香りが香ばしい一本の五平餅に空腹感は治まったのであった。

結局、駐車場のある役場に着いたのが午後1時半を過ぎていた。おおよそ時速1キロメートルの計算だ。
着いた頃には、桜祭りの会場になっている広場の山側は蔭になり桜と紅葉も幽玄な景色と化していた。
日当たりのいい場所を求めてカメラを構えたが、いちばん撮りたいところは、光量不足で暗すぎた。
せめては腹ごしらえと思い、屋台に並ぶも、蕎麦も饂飩も売り切れ、完売ばかり。
こうなるとあの五平餅は有り難かった。おにぎり一個分くらいの量だが、米の腹持ちのいいことに驚く。

山の上に停めた車に戻り、係の人に礼を言って出た。ここは、無料である。会場付近で300円。
渋滞の末やっとたどりついたのだ。一台千円取っても人は停めるだろう。
係員の多くがボランティア。年に一度の「四季桜祭り」を村人総出で支えているようだ。
渋滞が凄くても、こういう扱いなら、気持ちもなごむ。正直村である。

会場以外にも桜の名所は多い。しかし、どこへ行っても車を停める場所は一杯である。
一番奥にやっと一台分あいたので、そこに停めて歩いた。
谷川沿いに桜並木が続いていた。日は山の端に傾いたが、僅かにそこからのぞく光で明るかった。
日の当たる田圃に山の影が差し、日本の原風景のような景色を垣間見せていた。
ようやく満足し、車に戻った。

これで帰りはすいすいだろうと思ったのがまちがいだった。来た人数が帰るのだ。道は同じ。
帰りもやはり渋滞だった。「ここは、往きに犬がいたところだ。」「ここで前の車から子どもが出たね。」
と、確認しながら、それでも、往路よりはスムーズに渋滞を抜けた。
東海環状道路の上で、久しぶりに大きな夕陽の落ちていくところを見た。
次第次第に藍色が濃くなってゆく空の色を見ながら走るのはまた格別である。
湾岸道路にかかる橋に点滅する航空機用の信号燈や港の灯りは都会ならではの夕景。
ロマンティックな夜のドライブを堪能して帰ったのであった。
(右のアルバムから他の写真を見ることができます。)
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by abraxasm | 2008-11-24 11:23 | 日記

神宮の紅葉

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紅葉情報とやらに、神宮神域の紅葉が見頃とあったので、行ってみた。
風は少しあるものの、昨日までとうって変わったあたたかさ。オープン日和である。
河川敷にコペンを停め、内宮まで川縁の道を歩いた。
対岸の工作所の銀杏ももうすぐ見頃かというところで、まだ少し早いのではと思った。
案の定、宇治橋からの眺めはまだまだ緑の方が目立つ。
紅葉情報というなら、色づきはじめというのが正確だろう。

せっかく来たのだからと、橋を渡って正殿まで歩いた。相変わらず観光客が多い。
ダークスーツのグループがけっこう多いのが、奇異な感じがする。
まさか、あの恰好で慰安旅行でもあるまい。神宮参拝を欠かさぬ社風なのか?
多分これで参り納めだろうから、手袋も帽子もとって賽銭も奮発した。

「困った時の神頼み」というから、今年の年越しから初詣あたりは賽銭も多いだろう。
もっとも世界同時不況では、日本の神様にだけすがったところで、効果はないかも知れない。
「百年に一度」といわれる未曾有(みぞう)の混乱だが、この国に危機感はあまり感じられない。
年金や退職金の目減りも心配だが、もっと悪いことが待ち受けているような気がしてならない。


とはいえ、お昼になれば何か食べねばならない。内宮前にある蕎麦屋に入った。
「蕎麦屋の酒」で紹介した店だ。妻はせいろと粗挽きのあい盛りにするというので同じものを注文する。
ここの天麩羅には鱚がついてくるので少し苦手だ。
角皿に小盛りにされた二種類の蕎麦がふた山ずつ。縦がせいろで、横が粗挽き。
まずは何もつけずに蕎麦の味をたのしむ。なるほど味のちがいがよく分かる。
粗挽きの方が歯触りといい、香りといい野趣がある。せいろの方は繊細な感じ。

教えられたとおり、山葵とおろし、刻み葱は一口食べるたびに蕎麦につける。
お説のとおり、三種の味が楽しめるのはいいのだが、おろしはすぐなくなった。
山葵も出汁の中にとける間もなく口の中に消えてしまう。
蕎麦湯の出る頃には、薬味はどこにもなく、せっかくの蕎麦湯が物足りなく感じられる。

あの蕎麦湯を味わった後だからという訳ではないが、ここの蕎麦湯はあっさりしていた。
溶け出しているルチンの量もしれているようだ。少し物足りないので、おかげ横丁へ。
「豚捨」の名物コロッケでも、と足を伸ばす。おあつらえ向けに行列がなかった。
120円のミンチカツを包んでもらって外で食べた。蕎麦の後では少々脂っぽく感じられた。
食べる順番をまちがえたようだ。

河川敷は奧の方まで車で一杯になっていて、小さいコペンはなかなか見つからなかった。
いい車だが、混雑した駐車場で見つけにくいところだけはどうしようもない。
リモコンのボタンを押したら、勝手に走ってくるようにしてほしいと思った。
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by abraxasm | 2008-11-22 13:55 | 日記

散髪

散髪に行った。日帰り温泉の中にあるカットサロンである。
何でも都会では温泉施設の中にカットサロンというのは定番になっているとか。
たしかに、カットだけで洗髪も顔剃りもなしという最低料金を選ぶと、そのまま家に帰るのはちと辛い。
その点、温泉施設内なら、そのまま入浴すれば洗髪も顔剃りもできるわけだ。
だいたい、床屋で散髪をしてもらうと、かちっと決まりすぎるので、家で洗髪をしてしまうことが多い。
顔剃りもきめ細かくやると、後がてかる感じがしていまいちである。

というわけで、妻にはあかすりでもマッサージでもして時間をとってもらうことにして、先に散髪。
顔剃りも洗髪も別料金を出せばしてくれるらしいが、最低料金1200円のカットだけを選択する。
はねてきた毛先をカットし、すそまわりを梳いてもらう。世間話をしているとすぐ終わった。
ドライヤーで余分の毛を吹き飛ばすだけというあっさりしたもの。
そのまま温泉に直行して、洗髪をすませたら、あとはゆっくり温泉を楽しむばかりだ。

よくしたもので、洗い場には剃刀も髭剃り用のフォームまで用意されている。
ふだんの床屋と比べるべくもないが、素人目には特に変な仕上がりでもない。
襟足をささっと剃っておしまいということにした。

床屋でゆっくりする気分もいいが、休日は待ち時間が長い。
それにくらべると散髪の所要時間が圧倒的に短いのがカットサロンのいいところだろう。
大手のチェーン店なら、顔剃りもして1600円程度だという。
おもしろいことに、この温泉と同じ敷地内にもう一軒のカットサロンが営業中である。
することは同じなのに、法律の都合で理容、美容が隣同士に並んでいる。
今度はこちらの方も試してみようかと思っている。
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by abraxasm | 2008-11-16 16:45 | 日記

古本祭り

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京都に行って来た。一度行って味をしめると、何度でも行きたくなる。
何しろ片道140キロメートル足らず。高速道路を使えば1時間半の近さである。
今回は、HPの掲示板で教えてもらった「古本祭り」がお目当てだ。
京都大学に近い百万遍にある知恩寺というお寺を会場に、古書店会が年に一度開く古書市である。
11月3日が最終日。1日の土曜日の朝出かけたらよかったのだが、仕事の疲れか寝坊してしまった。
2日は妻の予定があって都合が悪く、最終日になってしまった。

どんな物が残っているのか。初めてのことなので、様子を窺いに行くぐらいのつもりでやってきたのだった。
大きな寺で、広い境内には所狭しとテントが並んでいる。その下には、いくつもの箱に入った本、本、本。
曇り空の下、雨の心配はしないでいいのかテントも張ってない本屋もある。一冊百円というゾッキ本だ。

まずは、片端からのぞいて回った。特に探しているという本がないので、焦点を定めにくい。
それでも、ひとあたり見て歩くうちに、少しずつそれぞれの書店の個性のようなものが見えてきた。
歴史物が中心であったり、美術書、洋書というあたりは一目で分かる。
意外に小説というのは少ないものだ。特に海外の小説は見あたらない。
研究書の方が多いのは、大学がたくさんあるからかも知れない。

この日はめずらしく携帯電話を持ってきていた。会場ではぐれても落ち合えるようにという用意だ。
本の山に分け入ってしまうと、他のものは見えなくなる。妻には悪いが別行動をとらせてもらう。
澁澤の『マルジナリア』、リラダン全集中『アクセル』所収の巻、日夏がキーツを論じた『美の司祭』などが目に入った。
矢野峰人の『世紀末英国文学論』など、美装本ながら二巻で四千円という安値である。
ふた昔も前なら買っていたかも知れない。いや、多分買っていただろう。
しかし、今は本のコレクションは中断している。書棚が一杯で置く場所がないからだ。

というわけで、本当に必要な本だけにしぼることにした。
結局購入したのは、丸谷らの訳した集英社版の『ユリシーズ』Ⅰ・Ⅱ巻で2500円(Ⅲ巻欠本)。
柳瀬訳『ユリシーズ』12巻は、例の犬の視点で書かれた「キュクローポス」の章で、これは500円。
最後に前々から読みたいと思っていたジンメルの『橋と扉』(1500円)の4冊。

ジュリア・クリステヴァの『プルースト』も手が出かけたのだが、肝心の『失われた時を求めて』を持っていない。
手許に本がないと、研究書は無理だ。ナボコフも探したのだが、書簡集があるだけだった。
こうなると、初日に来なかったのが悔やまれる。

『ユリシーズ』のⅢ巻のように、欠けている本を探すという愉しみもできた。
またの機会を待つことにしよう。書店の個性もつかめたので、次回からは効率よく探せることだろう。
残念なのは、古書市で時間をとりすぎ、教えてもらった会場近くの古書店を回れなかったことだ。
これも、またの機会ということにしよう。

それにしても、高速料金と駐車料金を考えると、かなりの数の掘り出し物を見つけないと割に合わない計算だ。
絶版になっている本など、一度や二度訪れただけの素人の手に入るとも思えない。
秋晴れの空の下、年に一度虫干しを兼ねた古本の祭りに参加することに楽しみを見出すのが正しかろう。
久しぶりに学生時分に戻ったようで、いい気分転換になった。
妻は妻で、イベントの和綴じ本の講習会が楽しかったようで、熱心に見入っていた。
いい催し物を教えてくれたおはなさんに感謝。
もしかしたら会場内ですれ違っていたかもなどと想像するのも楽しいものである。
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by abraxasm | 2008-11-04 21:13 | 日記

覚え書き


by abraxasm