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神経内科医の文学診断

近頃、何でもない漢字が突然書けなくなったり、しゃべっている途中でろれつがうまく回らなくなり、俗に言う「かんで」しまうことがふえた。人の名前が出てこないことは、ずっと前から少しずつ徴候として出てきてるので、加齢によるボケの始まりだろう、と軽く考えていたのだが…。

岩田誠氏の『神経内科医の文学診断』という新著を読んでいて、少し不安になってきた。谷崎潤一郎の「鍵」についてふれた一章の中に、失名辞失語の症例が出てくるからだ。文章そのものの主題は失語症についてではなく、ババンスキー反射という、「大脳皮質運動野から脊髄の下方に至る随意運動の経路、すなわち維体路のどこかが破壊された」場合に起こる足趾の反り返り運動についてである。

谷崎の「鍵」の中に、足の裏を擦りあげるバハンスキー反射を調べる医師の行為が実に精密に書かれていることに神経内科医である著者が驚いているという内容である。それ以上に驚かされるのは、同じく維体路障害の診断に用いられる挙睾筋反射の記述である。睾丸の根元の両側の皮膚を擦ることで睾丸を吊っている筋肉の反射を見る、というものだが、「右の睾丸はゆっくりと鮑が蠢くように上り下りの運動をするが、左の睾丸はあまり運動する様子がなかった」という記述は、文学作品の中で書かれた挙睾筋反射の最も正確な描写だろうと著者は言う。

著者はこれが、谷崎自身が自分が診断されたときの経験をそのまま書いたものだと推理する。その根拠は、維体路障害診断で必ず行われる腹壁反射についてふれていないからというものだ。座位で行える挙睾筋反射の診断とちがい、腹壁反射は仰臥位で行われるのが普通で、谷崎自身は見ることができなかったから書けなかったのだという診断である。

谷崎の文学が、これほどまでに科学に忠実であったのかというのが、驚きの一つである。しかし、個人的にはその後の谷崎の病歴の方が気になった。谷崎は『高血圧症の思ひ出』の中で、失名辞失語の経験についてふれているのだが、人名だけでなく犬の名前や魚の名前も出てこなくなったらしい。一過性ではあるが漢字や仮名も読めなくなったこともあるという。

著者によれば、これらは脳虚血症状が生じていたことによる。「頭頂・側頭葉を中心とする大脳半球後方の白質には、かなり高度の変化が生じていたのではなかろうか」というのがその診断である。

素人には、ボケの始まりくらいにしか思えない失名辞失語の症例も、専門医となると脳のどの部位に変化が起きているのかまで分かるらしい。著者は、谷崎は適切な治療を受けていなかったのではないかと推測している。物忘れくらいと思って放置しておくのは考えものかもしれない。一度脳のCTスキャンを受けてみる必要があるのではないか。そういえば、同僚が脳ドックに申し込んでいた。その時は、何を大げさな、と笑ったのだが、笑い話ではすませられなくなってきた。

本自体は、専門的な知識をひけらかすのではなく、文学に堪能なドクターの文学エッセイといったおもむきで、実に読みやすく、また採り上げられた作品、作家も洋の東西を問わず、選び抜かれたものばかりで、著者の文学的センスがなかなかのものであることを窺わせる。

健康な人なら気楽に読めるにちがいない。また評者のように自身の健康を診断してみようかという向きにも、案外役に立つのではなかろうか。著者は須賀敦子さんの愛読者。須賀さんの本の好きな人には、お馴染みの作家や作品が並んでいるので、一読をお薦めする。
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by abraxasm | 2008-05-24 12:36 | 書評

鯖の刺身

いやあ、美味かった。
久しぶりの鯖の刺身である。我が家で食したのは初めてではないか。
なにせ、うちの女房殿は鯖にはうるさい。やれ、目が死んでいるだの、何だのめったなことでは鯖を買おうとしない。
塩焼き、味噌煮と、鯖なら何でも大好きな当方としてはまことに切ない思いをしているのだ。
ところが、何と「今夜のおかずは鯖の刺身よ。」ときた。
何でも、行きつけの魚屋が、今日の鯖には「刺身可」の看板を出していたそうだ。
さっそく、刺身にしてもらってきたのをいただいた。まずは、酒田の銘酒「初孫」で。

刺身で何が美味いかという話題になり、鯖の刺身を挙げたところ、漁場出身の同僚に「鰺でしょう」と反論された。
鰺も美味い。たたきなど大好物だ。ただ、鰺のたたきは結構食べる機会がある。
「鯖の生き腐れ」という言葉がある。傷みやすい鯖は、めったなことで刺身にして出せない。
私にしたところが、仕事で離島に暮らしていたとき、漁師さんからいただいた鯖を刺身にしたのが初めての経験だ。
いやあ、その美味いこと。脂ののった鯖の美味さときたら、他の魚には替えられない。

肴として堪能してもまだ残っている。ここは炊きたてご飯のおかずとしていただくに限る。
あきたこまちのつやつや光っている銀しゃりの上に、岡山は吹屋から取り寄せた醤油をからませてほおばる。
至福の時である。カポナータだの、カルパッチョだのと、ラテン贔屓な割には、近頃滅法和食がうまい。
特に、炊きたてご飯が一番の好物になっている。晩酌を早めに切り上げ、ご飯にする日が増えている。

伊勢茶を淹れて、伊賀焼きの湯飲みでいただくと、夕食も終わり。しみじみとこの国に生まれた喜びを感じる。
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by abraxasm | 2008-05-23 19:27 | 日記

ボケのはじまり?

暑い一日だった。風呂上がりに焼酎のオンザロックス(本当はこう言う。氷が一つということはないから)をやろうと、冷蔵庫から氷をひとつかみ大振りのグラスに放り込み、紙パックから勢いよく焼酎を注ぎ入れ、水で少し割った。ガラスのマドラーを静かに回転させ、カウチに座った。

一口飲んで、なんだかおかしいとは感じた。妻が氷を作る時、レモンでもしぼったのかと。妙にすっぱいのだ。しかし、そのときは、そのまま飲み、お代わりまでした。二杯目も味は変わらなかった。眠くなったので、先に上にいって眠った。

早く眠ったのと、暑さのせいで深夜に目を覚ました。明日も休みだし、もう一眠りしようと、キッチンでグラスに氷を入れた。紙パックから酒を注ぎ、水で割って、と同じことを繰り返した。一口飲んで、匂いが気になった。あらためて、紙パックを手に取って驚いた。料理酒だった。

妻が、夕飯の手こね寿司を盛りつけている間に、浅蜊の酒蒸しを手伝った。その時、癖でいつも焼酎をおく場所に料理用の酒を置いてしまったらしい。風呂上がりに何気なく手にとったのは、焼酎ではなく料理酒だったわけだ。

それにしても、いくら晩酌の酒が残っているにせよ、焼酎と清酒(それも水割り)の区別がつかないなんて。ヤキがまわったものだ。紙パックはみんな同じ形状だから、こういうまちがいは、おこりやすい。たまたま酒だったからよかったけれど、他のものならどうなってたことか。薬品にはわざと匂いがつけてあると聞いたことがあるが、その意味がよく分かった。

近頃、人の名前や漢字が出なくなってきている。ボケの進行がはじまっているのだろうか。ああ、イヤだ。
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by abraxasm | 2008-05-05 09:42 | 日記

覚え書き


by abraxasm