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二時間耐久レース

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前回の鈴鹿サーキット・パレードランで味を占め、ついにドライビング・レッスンまで受講してしまった。
そうなると、次はサーキット走行だ。レッスン結果が今イチだったので不安はあるが、次のレッスンは秋にならないと行われない。この前、ブレーキの鳴りをみてもらったときに誘いがあったが、その時はお茶を濁しておいたアルファロメオ・チャレンジが今年も3月末に行われるらしい。ディーラーに電話すると、K氏が出た。
「おや、出られるんですか。この前は迷ってたのに。うずうずしてきましたか?」
と、例によって皮肉な応対だ。とにかく四日市からエントリーするメンバーの中に入れてもらうことにした。

先導車を追い越せないパレードランでは、走った気がしない。フリー走行がしたいのだが、その枠がないアルファロメオ・チャレンジでは自由に走ろうと思うと、二時間耐久レースに出場するより方法がない。いきなりレースというのはいかにも無謀だが、一度思い立つと、頭の中はそのことでいっぱいになる。そういうときは、思い切ってやる方がすっきりするもの。後悔は後ですればいいことだ。

しばらくしたら、K氏から電話があった。タイムを重視せず気楽に走れる4人構成のチームを希望したのだったが、どうやら、4人で走る枠ではなく、レース性の強い3人のチームらしい。ちなみに、他のメンバーの車はアルファGTと147GTA。もう一つのチームはフィアット車だというから、アルファのチームに入れたのだろうが、TIは普通の147よりはサスが硬めで、タイヤ口径が大きいものの、エンジンはノーマルの2000だ。3200のGTAと一緒にチームを組んでもいいのだろうか。ちらと、不安が頭をかすめたが、今さら後に引けない。よろしくお願いしますとだけ言って電話を切った。

数日後、エントリー料金33000円を集金にやってきたK氏。
「赤旗だけは出さないでくださいよ。レースを中止させるとピットに帰ってきたとき、あそこかという冷たい目で見られますから。鈴鹿のコースはもう覚えましたか?グラン・ツーリスモというゲームだと鈴鹿を走れるようですよ。GTAの人は一万円使って2分台で走れるようになったとか言ってました。まあ、フェラーリですからね。」

そうか、ゲームという手があったか。ゲームセンター通いは願い下げだが、PS2なら子どもが持ってるはず。早速話すと、ステアリングとアクセル・ブレーキペダルのセット一揃え買ってきた。こういうことには行動力がある。ただ、GT4はどこにも売ってなくて3を買ってきたという。3には鈴鹿はなく、結局4はネットで購入することにした。二日後届いたGT4は3と比べると格段にレヴェルアップしている。もっとも、こちらの腕は全くの素人なので、コースアウトを繰り返しながら東サーキットだけを何回も走ったところで時間切れになった。

レース前日の土曜日。ブレーキオイルを沸点の高いものに交換するためにディーラーを訪ねた。もしかしたら、お仲間がいるかと思ったのだが、時間が違うのか会えなかった。K氏も来客中で、もう一人の営業担当者が当日の要項を渡しながら、初めて走ったときの様子を話してくれた。
「コースを覚えてなかったので、前の車についていけばいいやと思ってたんですよ。ところが、すぐに離されて、後は一人で走るだけ。しばらくするとまた集団がダーッと走ってきて抜いていく。その繰り返しでした。二回目からはゲームでコースを覚えました。あれはよくできてますよ。」

まだ東コースしか走ってないので内心焦った。勝手に走らせてコースを見ているだけのモードがあるという。家に帰ったら早速試してみよう。昼食はいつものアウトレット・モールへ。ここのイタリアンのランチはなかなか旨い。

昼食後、なじみの店を冷やかしていると、プーマのショップでちょっといいドライビングシューズを見つけた。スピードキャットというタイプでプーマのロゴマークが特徴的な一足だ。古びた黒革の感じが大人である。アディダス・カントリーもいいのだが、まだ真っ白で、それが少し気恥ずかしい。運動会に行く子どもみたいなのだ。結局また買ってしまった。そのほかにニューヨーカーのジャケットも。ここに来るとつい買い物をしてしまう癖がついてしまっているようだ。ショップではさみを借りてタグをはずした。履いて帰ることにした。細身のため1サイズ大きいものにしたので、足にはよくなじむ。調子がよければ明日はこれを履いていくつもりだ。
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by abraxasm | 2008-03-31 12:27 | 日記

トヨタ博物館

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前回のオフ会が大雪のために流れたため、リベンジを期してのHCCオフ会が刈谷で開かれることになっていた。
TCCほかのクラブがトヨタ博物館で開くトヨオフとどこでどう結びついたのかは知らないが、
我がMCCの定例会もそれに合流することになった。

亀山でHCCと合流し、旧交を温める暇もなく刈谷に。名物の烏賊焼きを夢さんに相伴して、トヨタ博物館へ。
12県下から170台近くの車が集まっている。慣れというのは恐ろしい。
初めのころは数台がムカデで走っても感動していたのに、たいして驚かなくなっている。
開会式ではクラブ代表の挨拶があるのだが、急用で来られなくなったのたりさんに替わり、
ニケママが挨拶。度胸がすわっているのか、うまいものだ。
雲井ほかメーカの挨拶が終わると自由解散。MCCのメンバーはお目当ての博物館に向かった。

自動車ミュージアムとしては国内最大規模を誇るトヨタ博物館。一度来たかったところである。
前にも来たことがある夢さんたちも、ご機嫌で見て回る。本館二階に欧州車。三階に国産車。
開発順に展示され、トヨタ車以外にも歴史的な車は展示されている。

小さい頃にあこがれ見た車が、実車で展示されているのには、驚きと憧れが混じった妙な気持ちがする。
セドリックのところで、写生大会で風景を描かずに車を描いていて咎められた話をしていると、夢さんが、
「これ、家にあったよね」
と話し出した。兄さんの夢路さんは、
「これには乗ったことがある。」と、言い出した。
ホンダS500である。中学生時代、町を走っているのを憧れて見ていたものだが、
自分で乗るなどという、たいそれたことは考えてもみなかった。

父親の通勤手段は自転車である。他の家も同じようなものだった。
田舎にいては、憧れでしかなかった車も実生活で体験していた同世代もあったのだなあ、
とあらためて感慨深いものがあった。
それにしても当時の車は美しい。MCCのメンバーは、コペン乗りというよりも車好き。
これ、ほしいなあ、というのが決まり文句であった。

なぜ、当時の車のように美しい車が作れないのだろう。2000GTはもちろんのこと、
あのヨタハチでさえ充分に美しいフォルムを見せている。
今の技術水準で、ニッサンのGTRがあのデザインというのが解せない。
車が走るのは当たり前のこと。停まっていても美しい車に出会いたいと思うのである。
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by abraxasm | 2008-03-16 20:40 | 日記

閉院

例年より遅いのでもしやと思ったが、やっぱり今年も花粉症からは逃れられなかった。
仕事帰りに、いつもの医者へ行くと何やら様子があわただしい。
「○○さんですね。去年も今頃見えましたが、お薬だけでよろしかったですか。」
こちらは見覚えがないのだが、受付の看護士は、名前を覚えてくれていたようだ。
「はい。花粉症だと思います。いつもクラリチンをもらっています。」
「4週間分でよろしかったですか。」
これも、いつものこと。一回で出すのは4週間が限度だそうだ。睡眠薬系は2週間。

受付の奧の方で、院長先生は背広姿の客と何やら立ち話の最中。
ふと見ると受付の硝子窓に「当院は3月19日をもって閉院いたします。」の貼り紙が。
客はきっと業者にちがいない。院長は患者を診るより、店終いに忙しいのだろう。
花粉症とインフルエンザくらいしかお世話にならない医院だが、
いつ来てもすぐ診てもらえるここは、当方にとっては重宝な医者だった。
つっけんどんで無愛想な対応が気になるものの、どこも混む花粉症の時期はここが頼りだった。

診察といっても名ばかりで、
「花粉症だと思います。いつもの薬をお願いします。」
というだけで、薬が出る。待ち時間を含めても10分ですむ医院というのは記録的だろう。
しかし、この日はもっと凄い。受付ですべて終了。下の階にある薬局には電話一本。
医者代も下で一緒にどうぞとのことであった。

調剤薬局で、今度からはどうしたらいいのかと訊くと、
「総合病院ならここで出せますが、小さな医院は自分のところで出すことも多いですから。」
との返事。総合病院なんか仕事の終わる頃には閉まっている。
近所の耳鼻咽喉科はいつもこの季節は超満員状態である。

外国映画だと、処方箋を持っていけば薬局で薬がもらえる。日本では、このやり方はできないのだろうか。
花粉症なぞは、病気のうちに入らない。毎年、初診料を払うのさえばからしいのに。
この上、長時間待たされるなんて我慢できない。
それにしても、贔屓にしている店が閉店するのは毎度のこと。
ついには医者まで。
我が身について回る疫病神がことのほか憎らしい春である。
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by abraxasm | 2008-03-15 13:45 | 日記

ドライビング・シューズ

3月末にあるアルファロメオ・チャレンジに参加するつもりで、ドライビング・シューズを探していた。
近くの店にはあるはずもないので、ネットで検索をかけてみたら、近頃はドライビング・シューズをタウン・ユースにするのが流行りだとかで、有名な靴メーカーからもけっこう出ていた。

プーマのフューチャー・キャットなどは、普通のスニーカーとして街履きにも使えそうである。
アディダスがグッドイヤー社と提携して作ったそれは、底のゴムがタイヤのトレッド・パターンになっている。
洒落たデザインだが、あいにく国内ではまだ販売されていないらしい。
アディダスなら定番の「カントリー」が、ドライビング・シューズにぴったりだという意見がネットに出ていた。

プーマ、アディダス程度なら、地方の町にもあるかもしれない。
美術館に出かけた帰り、自転車用品を探したことのあるスポーツ用品専門店に立ち寄ってみた。
モーター・スポーツは今イチスポーツとしての認知度が低いらしく、店員に訊いてもらちがあかない。
仕方がないので、自分で探していると、所謂ドライビング・シューズは見つからなかったが、
半額セールの商品の中に「カントリー」が見つかった。白地に緑の3本線というシンプルなデザインだ。
試しに履いてみると、フィット感は上々である。底も厚すぎず、かかとは巻き上げである。
本来はクロスカントリー用の靴だが、まだ駆け出しの身分ならこれで充分だろう。

今朝、早速下ろした。普通の靴でも大事な日に真新しい靴は履かないのが常識だ。
まして、ドライビング・シューズである。ペダルの踏み心地が少しちがえば、即運転に響く。
早く新しい靴になれるためには、少しでも長く履く必要がある。

図書館まで運転してみた。かかとが安定していることは前評判通りだ。
それと、ペダルを踏んだときの感触がかなりダイレクトに足裏に伝わってくる。
初めて履いた割には違和感が少ない。この分なら、毎日通勤に履いているうちに足に馴染んでくれそうだ。
家に帰ってきてから、もう一頑張りして散歩に出かけた。
少しでも足に馴染ませたい気持ちからだったが、サポート感は上々である。
久しぶりに走り出したくなった。
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by abraxasm | 2008-03-09 18:45 | 日記

液晶絵画

黄砂に見舞われ、すっかり砂まみれになった愛車を洗ってしまうと、このまま駐車場にしまうのが惜しくなった。
美術館でやっている液晶絵画展をのぞいてから、久しぶりに温泉にでも浸かろうと、妻に声をかけた。
美術館に行く時には、いつも寄る伊太利亜料理店で、ジェノベーゼのパスタを食べた。
近くにあった支店がなくなったので、ここのジェノベーゼも久しぶりである。
お気に入りが見つかると、その店では同じものしか食べないので、ここではいつもこのパスタだ。
味が変わってないのでほっとした。

液晶の技術で有名な工場が近くにあることによるのか、ふだんとはちがったモダンな催しである。
会場内はいくつかの小部屋に仕切られ、それぞれのアーティストの作品を鑑賞する仕組みになっていた。
画面を見やすくするためか、入り口を暗幕で覆い、照明もない部屋はまるでお化け屋敷のよう。
静止画かと思うと、僅かに動いているのが分かるといった超スローモーションの画面や、
水面に立つさざ波以外に動くものといってない風景といった映像が特徴的である。

森村泰昌の『フェルメール研究<動く絵画>』の部屋が面白かった。
「画家のアトリエ」を再現した部屋の中で、そこを使って撮影された映像を見るという趣向なのだが、
画家の机上に雑然と並んだ本の中に和辻の「風土」があったり、
日本製の一眼レフが紛れ込んでいたりする作者の悪戯心に、にやりとしてしまった。
自分を名作絵画の中にとけこませる手法で知られる森村だが、その手法は洗練されてきたように思う。
フェルメールの細密描写に液晶技術をもって立ち向かうところなど洒落が効いている。
数年前、名高い美少女を一目見ようと、大阪まで足を運び、何時間も並んでようやく出会えた
『真珠の耳飾りの少女』が、森村の顔に替わっているのにはげっそりさせられたけれど。

あと、老若男女さまざまな男女が衣服を脱いでいく画像をばらばらに組み合わせてシャッフルする
鷹野隆太の『電動ぱらぱら』という映像は、以前何かで見て、面白いと思った記憶がある。
予め撮影された画像だけでなく、会場内にしかけられたキャメラが鑑賞者を撮影し、
作品内に取り込んでいく手法は、電器店で自分の姿をモニタ内に発見する体験に似ている。
知らぬ間に作品世界に取り込まれている自分を見るのは居心地のよくない経験であった。

暗い室内に、後から来た鑑賞客が「よう、わからん」と、何度も呟くのが聞こえた。
比較的新しい作品は、液晶技術の高まりもあり、見るに耐えるものもあるのだが、
初期の作品は、問題提起にはなっても、今見ると映像的にはシャープさを欠いていて、
当時は先鋭であったものが、今となっては古臭くなっているように思われた。

森村のようなパロディ的な要素を持ったものは、それなりに残るかもしれないが、
液晶という技術が、長い時間の流れの中でこれから先どうなっていくのかを考えると、
新しい技術に対応したアートというものの脆弱性を思わないわけにはいかない。
フレスコ画の技術に物足りなさを感じていたレオナルドだが、
頼った新技法が、フレスコ画より耐久性がなかったため、作品が今に伝わらなかった先例もある。
わざわざ暗幕を引いて鑑賞する液晶絵画というものの未来も、文字通りお先真っ暗でないといいのだが。
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by abraxasm | 2008-03-09 17:09 | 日記

覚え書き


by abraxasm