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伊丹十三の映画

伊丹十三は、一三だった頃からのお気に入りだ。高校生当時、所謂文学としては、新潮社から出た小型本の全集を図書館から借りて、大江健三郎を読み継いでいたのだったけれど、実生活の上では伊丹の書いた『ヨーロッパ退屈日記』こそ、生きていくためのお手本だった。何をさせても決まっていて、『北京の五十五日』で、ハリウッドの映画人に混じって日本の軍人を演じていたが、外国映画に出て来る日本人の中ではいちばんノーブルであった。『ヨーロッパ退屈日記』は、当時読んだエッセイの中では図抜けていた。中に入っていたイラストも自作というから、そのマルチな才能には舌を巻くよりなかった。映画『ロード・ジム』で、ピーター・オトゥールと共演した出演料で、ロータス・ヨーロッパを買うなんていう芸当は、当時日本で人気のあったちんぴら役者には逆立ちしたってできなかったろう。

その伊丹十三が、映画監督の伊丹万作の息子で、その娘を妻にした大江とは、松山時代の学友で義理の兄弟にあたることを知ったのは、ずいぶん後のことになる。エッセイストや雑誌編集者としてその才能を披瀝しながら、映画界では癖のあるバイプレイヤーという存在でお茶を濁していた感のある伊丹がメガホンをとった『お葬式』にはまいった。小津やらドライヤーやら、先行する名監督の映画を下敷きにしながら、大胆に自分の映画を撮る才能はただただまぶしかった。

『マルサの女』あたりから、正直マンネリ化を感じて映画館に足を運ぶことがなかった。観客が喜ぶ映画を撮ることを自らに課していたようだったが、『お葬式』や『タンポポ』のような映画こそ見つづけていたかった観客もいたと思われる。伊丹組の映画に三作しか出ていない山崎努が、伊丹の完全主義者的な演出と自分の演技のちがいをそれ以降の作品に出なかった理由に挙げているが、それだけではなかったのではないか。

山崎も言っているが、伊丹がほんとうに撮りたいと思っている素材は他にもあったように思われるのに、ヤクザや警察ばかりが出て来る映画を撮り続けたのは、日本映画の観客がそういう素材を好んでいたからではないのか。芸術映画に色目を使わず、エンターテインメントに徹する姿勢は潔いが、伊丹自体の本質とは齟齬があったように思う。

スタッフや俳優に気を遣い、大声を出すこともなかった伊丹が、撮影中は役者やスタッフと一緒に食事を摂らなかったと、何人もの証言がある。ロケ弁の不味さもあったろうが、古伊万里の蕎麦猪口で酒を嗜む伊丹にとって、プラスティックの容器に入った弁当は口にできなかったのではないか。庶民でない人間が庶民の要求に応えるために無理をし続けたあげくが、あの死だったと思うとやりきれない。岸田秀ひとりが、精神分析学者らしく、伊丹映画を分析しているのが興味深かった。その死に暴力団が何らかの関係がなかったかという指摘をしているのは岸田ひとりだった。自殺現場にゴム草履で出かけていくなどということは、スタイリストの伊丹にあるはずがない。私は今でも謀殺説を捨てきれないでいる。

一緒に撮影現場で過ごした人のインタビューで構成されているこの本からは、監督伊丹十三がいかに日本映画界では稀有の存在であったかということがひしひしと伝わってくる。それと、これほどまで周囲の人々に愛されていたのか、ということも。表紙の愛猫を抱いた伊丹のモノクロの写真がいい。
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by abraxasm | 2008-01-29 00:05 | 書評

就眠儀式

少し前の話になる。忘年会の翌日、メールのやりとりを終えた妻が教えてくれた。
午前様で帰った同僚の一人は風呂でおぼれかけ、
もう一人は朝方やけに寒いなと思って目を覚ましたら、やっぱり風呂の中だったと。

久しぶりに男四人が揃った昼飯の席でその話を披露したら、同じ経験があると言った同僚がいた。
話は続く。別のときだが、泥酔して帰り、トイレに入ったまま眠ってしまったらしい。
朝起きたら、寒かったのかトイレマットを肩まで引き寄せて眠りこけていたという。
無口でいつも聞き役に回っている後輩が、さすがに、「臭い、つきませんでしたか?」と、突っ込みを入れていた。
トイレマットと同い年の同僚は、若い頃はいろいろあったが、さすがに今ではそんなことはないな、と言って笑った。

そうだろうか。学生時代したたかに酔い、げろを吐き、足元もおぼつかない中を下宿まで帰ったことがある。
さすがに心配して、仲間が朝、下宿を訪ねてくれた。ふとんと毛布をきちんと敷き、
脱ぎだしもしないで眠っていた私を見て、仲間は驚くというよりあきれていたのを思い出す。

どんなに酔っても、寝るときはちゃんと布団を敷いて寝る。万年床などしたことがない。
酒を覚えたのは成人してからだが、毎晩寝るのはもの心ついてからずっとだ。歴史がちがう。
狭い日本家屋では、昼間は布団は押入れの中だ。どんなに疲れていても、夜にならなければ布団は出てこなかった。
逆に布団を敷くまでは眠れなかった。長居の客がきてるときなど子どもは悲惨なものだった。

そのせいか、寝るときは部屋の真ん中にきちんと布団を敷くのが習慣になった。
どんなに酔って帰っても、押入れから布団を出し、寒いときなら毛布をしいてからでないと眠れない。
もちろん寝巻きに着替えてから眠るのだ。就眠儀式といえるのかもしれない。
子どもが保育園の昼寝のとき、シーツの端っこのところをつまんで、ほっぺに当てないと眠れなかったのを思い出す。
可愛さはちがうが、そうしないと眠れないという点では同じだ。

酒に酔ってどこででも眠れる人の話を聞くと正直うらやましいと思う。
知らない間に自分に染み付いた習慣は数々ある。その中には気に染まぬものもあるだろう。
せめて酒を飲んだときくらい、それらから自由になりたいものだ、と思うのである。
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by abraxasm | 2008-01-08 21:54 | 日記

やぶっちゃの湯

「やぶっちゃの湯」というのは、伊賀市島ヶ原村にある。
他にもいろんな施設が併設されているが、とりあえずは温泉である。
以前、桜を見に行く途中で、昼食を食べるのに立ち寄ったことがある。
そのとき食べた釜揚げうどんもおいしかったのだが、温泉が気になっていた。
その日は、桜を見にいくという予定があり、温泉に入っている暇がなかった。
いつか行ってみようと思いながら、行く機会がなかった。

ねちがえたのか、朝から妻が背中が痛いといっている。
正月もどこへも行かなかった。年末年始に打ち上げというのがあるかどうかは知らないが、
まあどうでもいい。とにかく本格的な始動を前に、ひと区切りのつもりで温泉に出かけることにした。

年末年始の休みに備えて図書館で借りてきた本にはまって、妻がなかなか腰をあげないので、
出かけたのが昼を過ぎていた。お昼は、やぶっちゃの湯で食べるつもりなので、高速に乗った。
亀山から名阪国道に乗り大内I.Cで降りると島ヶ原はすぐだ。

まずは腹ごしらえ。昼の時間が過ぎたからか、客は私たち二人だけだった。
里山でとれる食材を小皿に十二品目盛った定食が30食限定というのが売りらしい。
一人は、それ。もう一人は「山芋ぶっかけ御膳」という野趣満点の料理にした。
届いた料理を見て燗酒を頼んだ。小皿にのっているのはどう見ても酒肴である。
運転をしているので、飲むのは妻のほうだが。

食事を終えていよいよ温泉である。やぶっちゃの湯は、ナトリウム・炭酸水素塩泉。
さらさらすべすべになるというので「さらすべの湯」を謳っている。
源泉は35.7度で、かけ流しの源泉も用意されている。それ以外は、加熱循環を明記している。
この点正直で好感が持てる。公営であるからかもしれない。男湯と女湯は日替わり交代。
露天風呂とサウナ、泡の吹き出る浴槽と寝湯と、一通り揃っている。

この日は気温が低く、浴室に入ったら一面の湯気で前が見えなかった。
おそるおそる歩いて、まず大浴槽につかる。熱めの湯で、たしかにさらっとしている。
顔にかけると、ピリピリとした感触がある。皮膚がとける感じだ。
隣の源泉に浸かってみる。35.7度は、夏ならともかく冬場では少し冷たく感じる。
けど、長く浸かっているなら、これくらいがちょうどいいのかもしれない。

細長い矩形の露天には半分屋根がついて、半分は本当の露天になっている。
「月待ちの湯」という名がつけてあるが、半分あけてあるのは、月を見るためらしい。
風雅なものだ。隣に二人分の寝湯がある。この寝湯が使い勝手がいい。
手すりや足置きがよく考えられていて、下に滑り落ちる心配がない。
時折り落ちてくる雨粒さえなかったら眠り込んでしまうところだ。

サウナも露天と同じように外に出ているのがいい。熱いサウナから出て、外気に肌をさらす。
冷水槽も外にあるのが本格的だ。これは気持ちいい。
サウナで一緒になった人と話し込んでしまった。植木屋さんで正月から四日通い詰めだという。
そろそろ仕事だと思ったら、雨が降ってきて仕事にならないというので今日も温泉だとか。
話し好きで、つかまってしまってのぼせそうになった。

洗い場は木桶と木の腰掛。ぬめり感のあるのが気になるが、プラスティックよりは上質感がある。
髪を洗ったあとのドライヤーも風量があってよく乾く。全体的に使いやすく作られている。
もう少し近かったら、たびたび来るのだが、という気持ちで温泉を後にした。一人800円。
施設設備、泉質と、名阪国道から来るなら、よく似た時間になるところからも、
大山田村にあるさるびの温泉の好敵手であろう。
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by abraxasm | 2008-01-07 21:49 | 日帰り温泉

初乗り

私が住んでいるところは、門前町ならぬ、いわゆる「鳥居前町」で、正月は初詣客で賑う。
正月の間は家のある丘陵地からどちらに下りても市内の幹線道路は渋滞中である。
暮れに借りた本も読み終えたので、図書館に返しに行こうと思うのだが、途中で渋滞に会う。
そんなわけで、自転車の初乗りとあいなった。

今年の正月は例年にない冷え込みだったが、昨日今日は穏やかな陽気に戻っている。
それでも、防寒具もなしに自転車に乗る気にはなれない。
中綿入りのパーカに手袋、それに毛糸の帽子をかぶって一階に下りたら、電話がなった。
図書館かららしく、妻が受話器を手渡そうとして、私のかっこうを見て噴き出してしまった。

妻とはじめて会った頃もよく似たかっこうをしていたのだが、そのときは笑わなかった。
ちがうところと言えば、銀縁の眼鏡をかけていることぐらいだが……。
そうか、歳をとったのだ。
自分ではたいして変わらないつもりなのに、どこかがちがうのだろう。
口を押さえて笑い転げている妻をしり目に外に出た。

久しぶりに乗る自転車は、快適だった。風もなく、軽快に走れた。
初詣客も三が日を過ぎて、少し落ち着いたのか、土曜日というのに車はすいていた。
なあんだ。こんなことなら、車でも来られたのに、と思いながらペダルを漕いだ。
借りた本を返し、予約をしてあった本を二冊借り、もう一冊新刊書を借りた。
本を借りて帰る道は、なんだか心が弾む。

町はまだ正月気分がぬけないのか、初詣の人以外には、通りを歩く人は少ない。
天気につられて犬の散歩に出て来た人くらいか。
歩道を走るのは嫌いだが、信号をパスして走るにはそれしかない。
歩行者のまれな歩道をすいすい走って帰ってきた。
途中の坂道はさすがに息が切れたが、これまで一度も自転車を押して歩いたことはない。
坂をのぼりきると、我が家はもうすぐである。
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by abraxasm | 2008-01-06 10:55 | 自転車

家族麻雀

正月というので、我が家にも子どもたちが帰ってきている。
去年式を挙げた長男はもちろん二人で。就職の内定が決まったばかりの弟は、当然一人で。
二日は、例年妻の実家に顔を出す。孫も成長して昔のようには、はしゃがない。
一通り近況を話すと話が途切れた。
なんとなく気詰まりな雰囲気を察知したのか、誰かが麻雀の話をはじめた。

妻は一人娘である。家族で卓を囲んでも三人しかいない。
妻と結婚したとき、これで四人で卓を囲めると一家は楽しみにしていたらしい。ところが、である。
小生、麻雀はおろか、パチンコ、競馬その他、一般に成人男性が嗜む勝負事をたしなまない。
親の遺言ということにしているが、実はあまり興味がない。当然ゲームにも手を出さない。
妻は、大のトランプ好き。亭主が相手をしないので、最近はもっぱらコンピュータゲームにはまっている。

ところで、子ども二人と嫁は今の子でゲーム好きらしい。当然麻雀もできる。
どこかから牌を見つけてきてさっそく妻を入れて四人は麻雀をはじめた。
男の子二人は、昔は仲よく遊んでいたものだが、大きくなってからは
たがいに煙ったいらしく喧嘩もしないが素っ気ない態度をとっていた。
それが、どうだろう。同じ卓につくと、二人はもちろん長男の連れ合いも妻もにこにこである。

なるほど、これが社交というものか、とあらためて思ったことであった。
学生時代、隣で麻雀をやられるとうるさくてたまらないからという理由でアパートを避けた。
生活時間帯のちがう二部生と二人だけの下宿で、孤独を愉しんだのはいいが、
その分人とつきあうのが億劫になっていたことは否めない。

四人の楽しそうな様子に、傍で見ていた岳父が、途中で
「おい、俺も入れてくれ」と言いだしたのだが、
「じいちゃん、僕の横で見てたやろう。」
と、二男に言われてなくなく引っ込んだのがおかしかった。

二人の子が友達と約束があるというので、そこで麻雀は終わったのだが、父には悪いことをした。
こちらで就職が決まった二男の方は、これからもちょくちょく顔を出すだろう。
祖母もいれたら四人で卓も囲める。
不肖の息子としては孫をダシに親孝行ができるというものである。
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by abraxasm | 2008-01-03 16:42 | 日記

覚え書き


by abraxasm