彼方なる歌に耳を澄ませよ

ベネディクト・アンダーソンは国家を「想像の共同体」と呼んだ。ルーマニアの哲学者シオランも言っている。「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ。」同じ言葉を話す人々の間には想像ではない共同体が営まれる。国を追われても、同じ言葉を話す者は一つに結ばれているものらしい。

置かれている状況も異なれば、暮らしぶりさえちがうのに、アリステア・マクラウドの小説に、かくまでにひきつけられるのはなぜだろう。情報網の発達の陰で、見も知らぬ人々との関係が結ばれるのとひきかえに、かつては確かにあったが、今では薄くなってしまった人と人との切っても切れない絆への、郷愁にも似た思いが募るからだろうか。

時代が変わり、人と人とのつきあい方が変われば、好むと好まざるに関わらず共同体意識も変化する。血を分けた家族の間でさえ、殺したり殺されたりするのが昨今の日本。新聞を開くたびに暗澹とした思いに胸塞ぐ事件を目にしない日がない。家族はともかく氏族となれば、儀礼的なつきあいにとどめておくのが今風というものだろう。

それにひきかえ、このスコットランド系カナダ人の間に残る紐帯の強さは何か。上官の命令に逆らってまで同族の傷兵を救助する先祖の戦士にはじまり、同じ炭鉱に働く一人が命を落とすと、上司が引き止めるにもかかわらず氏族みんなが帰郷するという現代の立坑掘りにまで連綿と続く。

かつて、ともに戦った将軍に、「彼らが倒れても、たいした損失ではない(原題“No Great Mischief”)」と言わしめた少数部族が生き残るためには、互いに助け合わねばならなかった。戦いに敗れたために故国を捨てるという苦渋の選択を強いられたスコットランド系カナダ移民。マイノリティではあるが、自分たちの氏族(クラン)に誇りを持つ人々たちの物語である。

タータンチェックという柄がある。シャツや膝掛けを彩るあの格子柄は正しくはクラン・タータンと呼ばれ、その氏族にだけ許された由緒ある図柄なのだ。マクドナルドの一族は王子から「わが希望は常に汝にあり、クラン・ドナルド」と言われたほどの名家だが、裏切りに合い衰退する。一族の末裔は、カナダに行けば土地が持てるという話にすがり、現在のノヴァスコシア州ケープ・ブレトン島に渡る。

代々そこで暮らす人々は、最初に移住を決意した赤毛のキャラムの子孫という意味でクロウン・キャラム・ルーアの子供たちと呼ばれる。後から来た者の常として、移民には厳しい労働が待っていた。一族は互いに強い絆で結ばれ、いざという時には助け合うことで苦しい生活を乗り切って今にいたる。一族の紐帯は現代にあってもそのまま生きているのだ。

主人公は、多くの親族が漁民や坑夫として働くなか、オンタリオ州南西部で歯科医として働く変り種である。幼い頃、両親と末の兄を事故で失い、祖父母のもとで育てられたことが、兄たちとの命運を分けることになる。長兄のキャラムは、一族を率い、ウラニウム採掘の立抗掘りのリーダーを努めていたが、他のグループとの諍いで刑務所暮らしを余儀なくされた。今は出所しているが酒びたりで余命が危ぶまれる。

物語は、主人公が九月の黄金色の風景の中を兄のいるトロントに向けて車を走らせるところから始まる。兄を見舞うのは土曜ごとの習慣となっている。車を走らせる彼の目に映るのは他国から出稼ぎにきている季節労働者の姿。それは兄たちの姿に重なり、彼は一族の歴史を回想するのであった。

現在の情景と回想シーンが交互にカットバック風に入れ替わるのがこの作品の特徴。誇り高いハイランダー戦士の末裔であるという意識。両親の死に至る顛末とその後の子どもたちの生活。「情が深くて、がんばりすぎる」と言われる犬や馬との結びつき。繰り返し描かれるキャラムと主人公のいきさつや二人の父方の祖父母と母方の祖父の対照的なキャラクター描写。長編ならではの息の長いリズムで差し挟まれるいくつもの挿話が、次第にクライマックスに向かっていき、やがて訪れる悲劇。

強者が一人勝ちする現代社会にあって、哀愁を帯びたゲール語の歌を共有する血族で団結し、自分たちの文化を守り、誠実に誇らかに生きる男たちの姿。そして世界各地に散らばった自分たちの生地でない場所で、汗にまみれ、泥に汚れながらも生きていく故郷喪失者たちの現実を、嘆くのではない、訴えるのでもない、しかし、それが生きるよすがともいえる静かな怒りが伝わってくる、13年という歳月をかけて書きつがれたアリステア・マクラウド唯一の長編小説である。心して読まれたい。
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by abraxasm | 2009-01-21 21:49 | 書評

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