『その雪と血を』ジョー・ネスボ

e0110713_14075298.jpgあと数日後にクリスマスが迫るオスロ。王のローブを思わせる真っ白な雪に点々と残る血痕。男は、今一人の男を殺したところだ。死んだのは《漁師》と呼ばれる男の部下だ。電話で仕事が済んだことを告げると、ボスに次の仕事を依頼された。今のところ信用されているが、いつ自分が始末される側に回るかと不安は消せない。今回の仕事も受けるかどうか躊躇した。始末する相手はボスの妻だった。

男の名はオーラヴ。物語好きの母親がノルウェー王の名を借りてつけた。仕事は始末屋、というとなんだか便利屋みたいだが、実のところは殺し屋だ。ヘロインを扱うホフマンに雇われている。殺し屋と聞くとその前に「非情な」という修飾語をつけたくなるが、オーラヴの場合はちょっとちがう。売春婦に足を洗わせようと借金を肩代わりしてやったり、殺した相手の家族に稼ぎをすべて与えたり、とやわなところがある。

そんな男がなぜ殺し屋?「おれにはできないことが四つある」。逃走車の運転、強盗、ドラッグ絡みの仕事、売春のポン引きだ。その理由も振るっている。「車をゆっくり運転するのがへたで、あまりに意志が弱く、あまりに惚れっぽく、かっとすると我を忘れ、計算が苦手」だから、始末屋くらいしかできなかった、というのだ。おまけに難読症で、綴りにまちがいが多く、本は好きでよく読むが物語は自分で作ってしまう。

ボスの家の向かいのホテルに部屋を取り、初めて妻のコリナを見た。真っ白な肌をした絶世の美女だ。まさにファム・ファタル(運命の女)そのもの。一目で恋に落ちた。監視を続けるうち、毎日決まった時間にやってくる男がコリナの頬を打つのを見て、男は愛人ではなくコリナを強請っているのだと考えた。相手の男を殺したオーラヴは、ボスに報告する。ボスは驚く。俺の一人息子を殺したのか、と。

息子を奪われたボスが、オーラヴとコリナを放っておくはずがない。コリナを自分の部屋にかくまううちに二人は互いに愛し合うようになる。こうなったら、後は二人で逃げ延びる算段。ホフマンの商売敵である《漁師》に自分を売り込んだ。凄腕の殺し屋を雇えるし、競争相手が消え、商売を独占できる絶好の機会だ、と。自分の部下を三人も殺した相手に《漁師》が言って聞かせる科白がなかなか含蓄がある。

信用できないことほど孤独なことがあるだろうか――どういう意味かわかるか、あんちゃん?」「今のはT・S・エリオットだよ」(略)「疑り深い男の孤独だ。ほんとだぜ、ボスというのはみんな、遅かれ早かれその孤独にさいなまれるようになる。夫というのもたいてい人生で一度はそれを感じる。だけど父親というのは、ほとんど感じずにすむ。ところが、ホフマンのやつは、その三つをぜんぶ味わわされたわけだ。自分の始末屋にも、女房にも、息子にも。気の毒になるくらいだぜ

クリスマス・ストーリーというものがある。ディケンズの『クリスマス・キャロル』もその一つ。世知辛い世の中で暮らすうちに、すっかりすれっからしになってしまった男。その乾ききった心の奥底に、今となってはそんなものがそこにあったことを本人でさえ忘れてしまっていた、温かく傷つきやすい少年の心がしまわれていた。クリスマス・イブの夜、静かに降り続ける雪を見ている男の胸にそれが激しく甦ってくる。

回想の中で少年時代のオーラヴは、熱を出して寝ている間、ユゴーの『レ・ミゼラブル』を読む。読んでは眠ることを繰り返すうち、オーラヴは『レ・ミゼラブル』を自分流の小説に読み直してしまう。その中ではジャン・バルジャンは人殺しになっている。オーラヴが書き直した『レ・ミゼラブル』の梗概。

彼のすることはすべてフォンテーヌのためであり、愛とは狂気と献身から出たものだ。自分の死後の魂を救うためでも、同胞への愛のためでもない。彼は美に屈するのだ。そう、それが彼のしたことだ。歯も髪もないこの病気で死にかけた娼婦の美に屈服したのだ。誰ひとり美など想像できないところに美を見たのだ。だからその美は彼だけのものであり、彼はその美の僕(しもべ)なのだ。

オーラヴはコリナに出会う前、マリアという女を知る。マリアは聾唖者で片足が悪い。それだけでも不幸なのに、男の借金のかたに売春婦にされてしまう。借金の肩代わりをして足を洗わせたものの、心配でその後をつける。電車の中で相手の耳の聞こえないのをいいことに、そっと愛の言葉をつぶやいたり、綴りまちがいのある手紙を書いたりする。何というセンチメンタル。だが、これこそクリスマス・ストーリーだ。クリスマスには愛の物語が必要なのだ。引用部分のフォンテーヌをマリアに置き換えてみれば、彼の真意がわかる。

もう何十年もそんな気持ちに襲われたことはないが、思春期の頃、クリスマスに雪の降る都市に住んでいないことが悔しかった。暖かな地方で雪などはめったに降らず、ホワイト・クリスマスに憧れていたのだ。それと映画によくあるクリスマスの奇跡に。ひそかに憧れていながら、声すらかけられない女の子に、街角で偶然に出会って恋が始まる、といった信じられないほど都合のいいセンチメンタルな物語。ふだんならいくら何でも、と思う話もクリスマスなら許せる。

通り一遍のクリスマス・ストーリーなら、ハート・ウォーミングな結末と初手から決まっている。だけど、これは50年、60年代に流行した犯罪小説「パルプ・ノワール」を模したものだ(訳者あとがきにある)。「ノワール(暗黒小説)」にはやはりそれらしい結末が必要だ。クリスマス・ストーリーを象徴するのがマリアなら、ノワールを象徴するのがコリナだ。蕩けるような声で男を誘い、その色香で危険な犯罪に男を誘うファム・ファタル。そのクリスマス・ストーリーと「ノワール」らしさを融合させたラストが絶妙で、うなった。

ポケミスでも珍しい一センチ足らずの厚さに一段組み。「パルプ・ノワール」といういかにも安っぽさを感じさせるチンケなネーミングに相応しい殺し屋の一世一代の恋物語の顛末は表題通り雪と血に彩られて終わる。思ったのだが、日本語の表記としては若干無理のあるタイトル表記は、オーラヴの難読症の暗喩か。ヒュームやジョージ・エリオットへの言及から見て、かなりのインテリジェンスの持ち主であるオーラヴが始末屋にしかなれなかった件(くだり)に胸をうたれた。精妙な伏線といい、異ジャンル混淆の見事さといい、北欧ミステリの佳品というべきか。

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by abraxasm | 2017-05-04 14:08 | 書評

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