『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む』 フリードリヒ・デュレンマット

e0110713_10554765.jpg雨が降り続き道路は川のようになった。そのうち霧が出た。やりきれない一月だった。アルノルフ・アルヒロコスは独身のベジタリアン。身なりは貧しいものの、いつもきちんとした服を着て煙草も酒もやらず、四十五にもなるのに女を知らなかった。プティ・ペイザン機械工場の経理課に勤め薄給を得ていたが、稼ぎはやくざな弟にせびられてばかりで、便所の臭いと騒音の絶えない屋根裏部屋に住んでいた。

行きつけの店<シェ・オーギュスト>のマダム・ビーラーはアルヒロコスのような善人が、いつまでもこんな不健康な暮らしをしていてはいけないと考え、結婚を勧めていた。本人の同意を得て『ル・ソワール』紙に出した広告がタイトルでもある「ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む」。すると、クロエという女性から返事があった。二人は店で待ち合わせ、一度で惹かれあった。二人は結婚を決める。

クロエは美人で、毛皮のコートを着、香水をつけていた。仕事はメイドということだった。結婚を決めた二人が街を歩くと、大統領や司教、今売り出し中の画家、市の名士たちが、アルヒロコスに挨拶をするではないか。果ては、雇用主のプティ・ペイザン氏までも。いったい何が起こったのか。その日からアルヒロコスには考えられない好運が舞い降りてくることになる。

翌朝、出勤したアルヒロコスは、次々と上司に呼ばれ、最後は社長室に行くことに。そこで常務に昇進したことを告げられる。一流の店でしつらえた洋服で旅行会社に行き、新婚旅行としてギリシア行きの船旅の予約をする。結婚式を挙げるため司教の元を訪れたアルヒロコスは、自分の不安を司教に打ち明ける。

突然好運に見舞われることになった男が、どうして自分ばかりがこんなに幸運に恵まれるのか、その理由がわからず不安に襲われる。それはそうだろう。普通ならありえない話だ。ところで、いつからそうなったかといえば、クロエと結婚することを決めてからで、この幸運がクロエから発していることはまちがいないのだ。でも、何故?

そこには、なるほどと納得できる理由がある。よく読めば、読者にも分かるように伏線が張られている。しかし、当人には事態がのみこめていない。この話は、周りは分かっているが当人にはわからないことから起きる、主人公の困惑を周りから眺めるときの面白さを描いている。話を聞いた司教は、この事態を「恩寵」だと説く。

重要なのはこれらすべてが何を意味しているのか、ということなのです。あなたが恩寵を受けた人間であり、あなたにその恩寵のしるしがこの上なくはっきりと積み重なっているということなのです。(略)これから問題になるのは、あなたがその恩寵にふさわしい人間であるかどうかを証明することなのです。このことを謙虚に我が身に引き受けなさい。もしもそれが不幸な出来事であったならきっとあなたが引き受けたように。私があなたに申し上げることができるのは、これがすべてです。ひょっとしたらあなたはこれから幸運の道という、非常に困難な道を歩むことになるのかもしれない。幸運の道を歩むという課題はたいていの人には課されていません。というのも、私たちが普通この世で歩むのは不幸な道なので、人は不幸の道の歩き方は知っていても幸運の道の歩き方は知らないからです。

この言葉にすべては尽きる。まさしく、アルヒロコスこそは、不幸な道ばかりを歩いてきた男なのであって、クロエと出会ってからはじめて幸運の道を歩き始めたわけなのだから。アルヒロコスは、結婚式の最中に、それまで気づかなかったある事実に思い至る。式場を飛び出したアルヒロコスは自暴自棄となり、革命家にスカウトされ、尊敬する大統領暗殺の計画に加わることになる。

この小説には、二つの終わり方が記されている。終わりⅠは、本来作者が書きたかった結末であり、終わりⅡは、「貸本屋のための」と書かれた娯楽小説としてのお約束の結末である。普通に読んでいけば、読者はいわゆるハッピーエンドに導かれるわけで、無事安堵して読み終えることになるが、心の中に一抹の疑問が残る。主人公の突然の変容が、あまりに不可解であるため、事態をのみこむことができないからだ。

そのために訳者あとがきが付されている。作家はプロテスタントの牧師の子として生まれ、それまでに書かれた戯曲にも本作の主題とされている、新約聖書の思想に基づく「一番取るに足りない人間が恩寵を授かる」という設定をすでに何度も披露している。カフカやキルケゴール由来の、ちっぽけな人間が大きすぎる幸運を受け止めることの困難を描いた本作も自家薬籠中の主題だったということだ。

しかし、読者はそんなことに関係なく、単なる喜劇として読めばいい。それも、何故この男に突然信じられない幸運が舞い降りたのか、という謎を抱えたミステリとして。初めは何かの寓話か、と思いながら半信半疑で読んでいくにちがいない。しかし、最後まで読んでから再読すれば、実に事細かに作者はウィンクを送っていたことに気づくにちがいない。手練れの劇作家ならではの巧みな目配せに、いつあなたは気づくだろう。評者などはいつまでたっても人間観察に疎い甘ちゃんであることに改めて気づかされ、苦笑させられた。

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by abraxasm | 2017-03-22 06:01 | 書評

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