『アリバイ・アイク』 リング・ラードナー

e0110713_18115733.jpg話芸というものがある。早い話が噺家の語る落語のようなものだ。面白いにはちがいないが、そんなものは小説ではない、という声が聞こえてきそうだ。小説のどこがそんなに偉いのかは知らないが、なんとなくただ面白い話や、法螺話を喜んで聞く文化というのが、一昔前はあったが、とんと最近では聞かなくなった。もちろん、寄席に足を運べば、今でも聞くことができる。そうではなくて、床屋だの、湯屋だの、人が集まってくる場所で、「まあ、お聞きよ」と口を開く、話し上手と呼ばれる人がめっきり減ったってことだ。

近頃では、本を読むということさえ稀になったらしいから、世に珍しい話や奇人変人の噂話は、ネット上に流れる何文字かの文章で処理されることになるのだろう。まあ、時の流れには逆らえない。それはそれとして、一昔前の与太話や法螺話を、一応そういうもんだとのみ込みながら、いいじゃあないか、急ぐわけでもないんだから、ここはひとつゆっくり聞いてやろうじゃないか、という聴く側の料簡が狭くなったから、話し上手も腕を揮えないってことがある。

逆に言えば、そういう気持ちでかかるなら、何も目の前に話し上手を連れてこなくっても事はすむ。圓朝に口演筆記があったように、語り口調のうまさをペンに乗せて書くことのできる作家というのがいる。マーク・トウェインなんかがその代表だが、このリング・ラードナーもその一人。なにしろ、一人語りで最初から最後まで語りっぱなし、というスタイルの小説が何篇もある。さすがに、そればっかりというわけにもいかないから、話し手を替えてみたり、会話を多用したりするが、語りが主体であることは変わらない。

ジャーナリスト出身で、自身を作家だと認識していたかどうかも怪しいところだ。売文業というと何だか賤しく響くが、腕さえあればどれだけでも書いて売ることができるわけで、いっそ潔いくらいのものだ。そのかわりと言っちゃあ何だが、話の面白さとオチのつけ方、それと語り口調のうまさは外せない条件だ。いわゆる名人芸というやつ。リング・ラードナーの短篇を読んでいると、読書をしているというより、めっぽう話し上手な男のごく近くにいて、語り聞かせてもらっているような気になってくる。

スポーツ・ライター出身ということもあって、野球選手の話、ボクシング・チャンピオンの話に精彩がある。タイトルになっている「アリバイ・アイク」もその一つ。どんな選手でも撃ちそこなったり取り損ねたりしたときは、言い訳はつきものだ。ところが、アリバイ・アイクに至っては、ファイン・プレイをした時も、とんでもない打率を挙げたときも、一言言訳(アリバイ)を呟かなくっては終わらない、というのだから厄介だ。

打っても、取ってもうまいので、アイクのおかげでチームは優勝候補に。ところが、そんなアイクに彼女ができる。婚約したことを仲間に話すとき、ついいつもの癖で言い訳めいたことを口にする。それを聞いていた彼女はアイクに腹を立て婚約を解消して帰ってしまう。意気消沈したアイクは全く打てずチームは苦境に陥る。彼女を取り戻すためにチームメイトが立てた策とは?なんにでも一言言訳をしないではいられない男という設定がいい。プライドが高過ぎるのか、うまくやった時でさえ、本当はもっとできるのだが、と言いたいのだ。どこかにいそうな困ったさんではないか。

逆に、こんなに酷い男はいない、と思わせるのが「チャンピオン」の主人公、ミッジ・ケリーだ。極悪非道にして冷酷無比。四字熟語のオン・パレードでしか形容できないワルのチャンピオン。しかもめったやたらと強い。あれよあれよという間にチャンピオンの座に上りつめながら、故郷で待つ家族や妻子に金は一銭も送らないという無慈悲さ。この悪党を取材しに来た記者にマネージャーが話して聞かせる美談は全くの嘘ばかり。それが記事として成立していることを皮肉る視線がミッジに負けず冷徹で、ラードナーがただのユーモア作家ではないことを証している。

金婚式を迎えた老夫婦が、避寒地に長期滞在するうちに起きたあれこれを夫の一人語りで聴かせる「金婚旅行」も、辛口のペーソスが効いていて後口に苦い味わいが残る一篇。人あしらいがうまく、交通違反を犯した違反者にも嫌な気をさせないでさばくので有名な交通巡査が、飛びっきりの笑顔の持ち主ながら、無免許で暴走を繰り返す女性ドライバーと顔を合わすのを楽しみにしている「微笑がいっぱい」は、「おもしろうてやがて悲しき」を地でいった話。

「散髪の間に」は床屋が語って聞かせる地元の人気者ジムの話。どこがおもしろいのか、というほどはた迷惑で、自分勝手な男なのに、床屋に集まる男たちには面白がられているジムは、少し頭の弱い少年をからかったり、騙したりしては仲間受けをねらっていた。ある時ジムは、ハンサムな医者に片思いをした娘のことが好きになり、医者の声色を使って誘い出し、笑い物にする。そのジムが鴨猟の最中銃の暴発に合う。ラードナーにはめずらしく読後スッキリする話。

ラードナーは、おそらく人間が好きでたまらなかったにちがいない。ところが、その人間ときたら、いつも善意にあふれたり、公正であったりばかりはしない。人前では立派な姿を見せていても、一歩裏に回れば真実の姿は醜かったり悲しかったりするものだ。その両面を兼ね備えているのが人間というもの。その真実の姿を、めったに世に出ない珍しい材料を準備したり、ありふれた素材にはピリッとした香辛料を効かせて目先を変えてみせたりして、存分に腕を揮って見せたのが彼の短篇小説だ。口に合うかどうかは客しだい。さて、あなたのお気に召すかどうか?
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by abraxasm | 2016-11-23 18:12 | 書評

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