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『すべての見えない光』 アンソニー・ドーア

『すべての見えない光』 アンソニー・ドーア_e0110713_9572857.jpg第二次世界大戦前夜、パリにある国立自然史博物館に勤めるルブラン・ダニエルは白内障で急速に視力を奪われつつある娘のため、指でなぞって通りや街角を記憶できるよう、精巧な街の模型を作ってやる。しかし、マリー=ロールが模型で覚えた街の姿を頭の中に再現し、視覚以外の感覚を総動員して街歩きができるようになった時、パリはナチス・ドイツによって占領される。父娘は住み慣れたパリを離れ、大勢の避難民にまぎれ、心を病んだ大叔父の暮らすサン・マロを目指す。

同じころ、ヴェルナー・ペニヒは、ドイツの孤児院にいた。機械いじりが得意なヴェルナーは、壊れて放置されていた部品でラジオを作り、妹と二人で毎夜フランスから放送される子ども向け科学番組を聞くのを楽しみにしていた。才能を見抜いた土地の実力者の推薦で試験を受けたヴェルナーは士官学校に合格するが、そこで彼を待ち受けていたのは、優生思想を奉じ弱者を排除しようとする集団であった。

敵対する国家の下で育つ少年と少女が磁力に引かれるように、海賊が作った要塞都市サン・マロに導かれる。これは、ブルターニュからウクライナまで、第二次世界大戦下のヨーロッパ大陸を舞台に繰り広げられる壮大な規模の「ボーイ・ミーツ・ガール」物語だ。その奇縁となるのが、ボルネオのスルタンが所有していた、持ち主の命は守る代わりに、周囲の人を不幸にするという呪いのかけられた宝石<炎の海>だ。

有名な宝石を手に入れようと、癌に侵された体を引きずって、各地に散らばった本物を含む四つの石の持ち主を探すナチスドイツの上級曹長フォン・ルンペル。石を守るためにか、呪いから身を守るためにか厳重に保管場所を用意し、その錠を預かるルブラン。第一次世界大戦で心に傷を負い、家から一歩も外に出られない大叔父エティエンヌ。その家政婦で料理上手なレジスタンスの闘士マダム・マネック。個性あふれる面々がマリー=ロールをめぐって暗闘を繰り広げる。

器用な手仕事と娘に寄せる強い愛情で造られるパリとサン・マロの立体的な模型の街が、物語で重要な役割を果たしている。錠前主任の父親は毎年からくり細工の木箱の中にマリー=ロールへの誕生日プレゼントを入れる。成長するたびにからくり仕掛けは次第に手の込んだものになるが、マリー=ロールはあっさりそれを解除できるようになる。

時間の流れを自由に行き来し、少年と少女の身に起こる出来事を交互に語ってゆく自在な語りの注目すべき点は、盲目の少女の中に入った時。目の見えない少女が街の中で出会う人や動物、その他の事物をどう認識しているのかということだ。音や匂い、触覚、熱感覚、とそれこそ人間の知覚感覚を総動員して現状把握するのだが、それが何とも鮮やかに語られていることに驚き、その精神の強靭さに感動を覚える。

マリー=ロールをそう育てたのは、点字を覚えた娘に誕生日ごとに高価な点字の書物を与える父であり、仕事中の父に代わってマリーに博物学を語って聞かせるジェファール博士だ。エティエンヌといい、マネック夫人といい、マリー=ロールの周りには愛が溢れている。反面、ヒットラー・ユーゲントとなったヴェルナーは、ただ一人の親友フレデリックをいじめから守れず、ナチスに批判的な妹に口を利いてもらえない。

自由フランスとナチス・ドイツの戦いの渦中にある少年、少女の成長を描くかに見えた物語は、上級曹長の出現により、宝石をめぐっての攻防戦を描くサスペンス・ドラマの様相を見せ始める。オードリー・ヘプバーンに、盲目の女性が灯りの消えた家の「暗さ」を武器に犯人と戦う『暗くなるまで待って』という映画があったが、視点は女性の側にはなかった。それでは映画にならない。ところが、小説はそれが書ける。このあたり、面白く感じた。

呪いの宝石の由来を語る物語が、入れ子状に嵌めこまれていたり、パリの一区画や城壁で囲まれた城塞都市サン・マロがまるまる精巧な模型として造られていたりすることで、その街の中にいるマリーの頭の中に都市が嵌めこまれるという、入れ子状の構造の反復が、戦勝国側の視点で描かれた、ある意味で図式的な戦争物語を辛くも平板化から救っている。

アンソニー・ドーアには『シェル・コレクター』という短篇集がある。サン・マロで初めて海に出会ったマリーは、貝殻集めに夢中になるが、ドーア自身の趣味なのだろうか。ピュリツァー賞受賞作にふさわしい誰にでもお勧めできる作品。ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』が、通奏低音のように物語の水底で静かに鳴り響く。ヴェルヌ・ファンなら絶対見逃すことのできない必読図書である。
by abraxasm | 2016-09-26 09:57 | 書評

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