『エセー 7』 モンテーニュ

e0110713_13125261.jpg『エセー』の最終巻。晩年のモンテーニュが、肉体的にも精神的にも、意気盛んであったことがよく分かる。国は宗教戦争のさなかにあり、自身もそれにかかわりながら、塔屋の書斎にこもって『エセー』を書いている時は、いつものモンテーニュであり、それは最後まで変わらない。

自らの慣習に忠実に、食べ、飲んで、眠っている。抑制することもなければ、過激になることもない。悟りすましたりもしない。人間歳をとり、死が近づいてくると、何かに頼りたくなるものだが、モンテーニュは自身の経験をしか頼らない。しかも、頑迷ではなく、融通無碍に晩年に対処している。

見習いたいものだが、なかなかこうは生きられない。もはや達人の域である。長めの章立てが、ぱらぱらと読むには、ちと不都合だが、引用した部分などを時折りひもといて、拳拳服膺すると落ち着いた老後が送れるような気がする。たとえば、今の我が国のように、国家の政体が大きく変わろうとするとき、次のような文章はじっくり読むに価する。

「各国の人々について、もっとも優れた最高の政体というのは、それに基づいて国家が持続してきた政体にほかならない。その本質をなすところの形態や長所は、慣習に依存している。われわれは、とかく現状に不満をいだきがちである。けれども、民主制のうちにあって寡頭制を希求したり、君主制のなかで、これとは別の政体を望むのは、まちがっているし、とてもおかしいと思う。」

また、少し長くなるが次のような文章もそうだ。

「革新ほど、国家を苦しめるものはない。変化だけでも、不正や専制に形を与えてしまう。どこか一部分が外れてしまっても、つっかい棒をすることが可能ではないか。すべてのものごとにつきものの変質や腐敗のせいで、最初の原理から遠ざかりすぎないように、対抗策を講じることはできるのだ。けれども、これほど巨大なかたまりを鋳造し直して、これほど巨大な建造物の土台を交換するようなことに手を付けるのは、汚れを落とそうとして、壁画などを全部消してしまう人々、個別の欠点を直そうとして、全体の混乱を招いてしまう人々、病気を治そうとして、病人を殺してしまう人々、《ものごとを改革するよりも、破壊したがる人々》がすることなのである。」

国家や政治についてばかりではない。人が仕事に一生懸命になっている姿を見て、「ある種の人間たちにとっては、仕事で忙しいのが、能力と偉さのしるしなのです」と、言い放ち、続けてこう記す。

「わたしの行動は、これとはまったく異なっている。わたしは自分にくっついている。そして、なにかを欲望するとしても、たいていは弱く、少ししか望まない。なにかを引き受けて、そのことに本腰を入れることもあまりないし、あったとしても、静かに働くだけだ。人々は自分で望んで、ものごとを進めていこうとして、なんでも実に熱心に、猛烈にやろうとする。けれども、そこには多くの難所が待ち受けているから、安全確実を期すためには、この世の中を、いくらか軽やかに、表面をすべるようにして渡っていく必要がある。ずぶっとはまり込むのではなくて、あくまでもすべらなければいけない。快楽だって、深入りすると苦痛が待っている。」

引用箇所は、わが身に引き比べ、強く心に残る箇所である。人によってはまったく異なる文章が胸に響くこともあるだろう。何かと思い悩む日には、つまらぬハウツー本より、よほど頼りになるのが『エセー』である。だまされたと思って一度手にとって見ることをお勧めする。
[PR]
by abraxasm | 2016-05-19 13:14 | 書評

覚え書き


by abraxasm