『未成年』 イアン・マキューアン

e0110713_1514976.jpg「公私混同」という言葉がある。公の仕事に、私的な事情を持ち込むことを指す。ふつうは望ましくないことと考えられている。ふりかえって今の我が国の政治家の言動をみていると、私的心情や私利を隠しもせずに前に立てていっこうに恥じるところもないようだ。政治家相手に倫理規範を問うのがはじめからまちがいなのかもしれない。しかし、法律家だったら話はちがってくる。裁判官が審理に際し、私情をはさむことなぞあってはならないことだ。だから、我々は時々テレビ画面で見る黒い法服を着た人たちの家庭事情なぞ想像したりしない。黒い法服自体が一私人としての彼らの個性を覆い隠し、裁判官という公の存在しか見えなくさせているシステムの一部なのだ。

フィオーナ・メイは五十九歳。高等法院家事部で裁判長を務めている。夫は地質学が専門の大学教授で、ロンドン市内の恵まれた地区に住んでいる。離婚による親権争いなど今も複数の裁判を抱えている。六月の雨の日曜日だった。フィオーナは夫から突然、他の女と性交渉を持つことを認めた上で結婚生活を続けたいと持ちかけられ、怒りを抑えられなかった。そんな時、助手から緊急手術が必要な十七歳の少年が輸血を認めないので、病院側が裁判所に訴えてきたという連絡が入る。少年も両親もエホバの証人の信者だった。

エホバの証人という宗派では、他人の血を体内に入れることは聖書が禁じていると主張し、輸血でトラブルが起きることは知っていた。今回の場合、白血病細胞を標的とする薬が免疫システムや赤血球、白血球を作る能力を衰えさせるため、至急血液製剤を輸血しなければ、患者である少年は軽くても視力が奪われ、最悪の場合死に至る。フィオーナは関係者を集め話を聞きいた上で、自分の目で少年を見て話を聞いてから、最終判決を下すと言いおき、病院に向かう。少年の年齢が自分の判断で輸血を拒否できる十八歳まであと少しというところがみそだ。輸血拒否が親や長老による強要なのか、少年の判断力はどこまで発達しているのか、という見極めが何より重要である。

この緊急事態が進行していく間で、夫婦の危機も事態は深刻さを増してゆく。フィオーナは夫の申し入れを拒絶する。そりゃそうだろう。実に虫のいい話ではないか。そもそも六十歳にもなってたかだか何週間かセックスしなかったから、他の女でエクスタシーを感じたいなどと言い出す男の気持ちが分からない。「公私混同」の話を出したのは、ここのところで、フィオーナは内心は動揺を受けながらも、裁判に関わる間は冷静にことを処してゆく。読者は、「私」である時のフィオーナの夫への怒り、自分の美貌の衰えに対する自覚、相手の若い女への嫉妬、といった負の感情の奔流を知っている。それだけに「公」の場でのフィオーナの感情に溺れない態度に感心もすれば、その辛さを慮りもする。抑制の効いたマキューアンの筆は、窓外や室内の光景を客観的に眺め渡してゆくだけだが、どこまでも冷静さを装った視線が、かえって心の中の葛藤を窺わせて深い印象を残す。

少年に会ったフィオーナは、詩を朗誦する少年の現在の心境を知り、少年の弾くヴァイオリンの伴奏に合わせて「サリーの庭」を歌って聞かせる。フィオーナの判決により、少年は輸血を受けることとなり、命は助かる。しかし、それは「エホバの証人」という宗教への離反を意味するわけで、少年が得た新しい命と人生にとってはまったく新たな問題が生じることとなる。同じ家の中で、互いの間に距離を置く、夫との冷たい戦争状態は続くが、法曹界における優秀なピアニストでもあるフィオーナは、コンサートその他に引っ張りだこで、その練習もしなくてはならず、恒例の巡回裁判のため英国各地を旅しなければならない。いかにも英国小説らしく、田舎の館の構造から、あまり美味しくなさそうな料理の献立、バッハの「パルティータ」に始まるクラシック音楽の解説と、悠揚迫らぬ展開で小説は続いてゆく。

しかし、実はフィオーナの知らないうちに悲劇は進行していた。小説の主題は、一人の女性裁判官の行動や心理を通して、神ならぬ身の人間が、あくまでも「私」心を交えずに、どこまで公正な判断を通して裁判という「公」の仕事を全うすることができるか、ということを真正面から、真摯に問いかける。人間というものは、自分を勘定にいれず事態に処しているつもりでも、どこかで私事のために判断に影響を受けることは否めないのではないか。普通の仕事なら、そんなことは当然である。誰もそれを責めはしない。しかし、法の守り手である裁判官その人ならどうだろう。自分の判断に自身がもてるだろうか。それまでフィオーナに寄り添って事態の進み具合を見てきた読者は、結末に至り、フィオーナとともに疑心暗鬼に襲われる。あの判断は、あの処理は、あれで本当に正しかったのか。心のなかに、夫との不和による寂しさの代償を求める気持ちはなかったといえるのか。取り返しのつかない事態を前にしての慟哭は胸に迫る。

本格的な小説だ。決しておもしろいとはいえない。読後に残るのも悔いに満ちた苦い悲哀の味である。それでも、この小説を読んでよかった。そう思えるのは、人生も終わりに近づいてきた女性が、ただ一人愛してきた男性から最後通牒を突きつけられ動揺する姿に、人間として感動させられるからである。決して美しいとか見事だとかいうのではない。じたばたするその態度は醜かったり哀れだったりする。しかも、よくよく考えれば彼女がその仕打ちを受けねばならなかったのは、彼女のそれまでの仕事の完璧さによってである。自分のせいではないのに、罰を与えられる。これはもう語の真の意味で悲劇としかいえない。その神々しいまでの悲劇性故に、つまらぬ凡愚の輩である評者などは、静かに頭を垂れるしかない。
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by abraxasm | 2016-01-10 15:14 | 書評

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