『服従』 ミシェル・ウエルベック

e0110713_1963598.jpg示唆に富む小説である。著者の作品は『素粒子』しか読んでいないのだが、それに比べると、ずいぶん読みやすくなっている。小説の核となる部分は近未来を扱っているが、それほど遠い未来ではない。舞台はフランス。主人公はパリ第三大学教授フランソワ。専門は若い頃から愛読してきた作家、『さかしま』で知られるジョリス=カルル・ユイスマンスである。

ユイスマンスといえば代表作『さかしま』が、あまりに有名なことからデカダンスの作家のように受け止められているが、その後の著作、『彼方』や『出発』などを読めば分かるように、世俗の快楽を追求する生活からカトリックへの改宗に至る、自身の改心を文学上の主題にした作家である。わざわざそういう作家を専門とする大学教授を主人公に据えたのは、当然主人公の生活をユイスマンスのそれと重ね合わせるつもりがあってのことだろう。つまり、世俗的な快楽の追求から宗教的改心へと至るストーリー展開が透けて見える。

事実、主人公の人生はパリ第四大学に提出した博士論文『ジョリス=カルル・ユイスマンス、または長いトンネルの出口』を書き終えた時点で頂点を迎える。論文は高い評価を得て、彼は第三大学准教授に迎えられる。高い社会的地位、安定した収入、学術雑誌への寄稿、フランソワは望みうるものはすべて手に入れた。彼に出世欲はなく、常に社交がつきまとう学内政治にも無関心である。どだい政治というものに関心がない。人嫌いの無神論者で興味があるのはユイスマンスを除けば酒、煙草、料理、と性交の対象としての女につきる。

しかし、さすがに四十台を過ぎると肉体的機能は衰えを感じ、性欲も減退気味。ミリアムという女子学生との関係は保っているが、結婚には懐疑的である。自分の人生はこれからどうなるのかという漠然とした不安を感じはじめた時、突然それは起こる。二〇二二年、大統領選挙で第一党をとった極右の国民戦線を抑えるため、第二党を争う社会党とイスラーム同胞党が手を結んだ結果イスラーム政権が誕生する。共和国政府で長年くり返されてきた、中道右派と左派が政権を交換するというシステムが崩壊したのだった。

イスラーム同胞党を率いるモアメド・ベン・アッベスという人物が魅力的に描かれている。穏健なイスラームであるベン・アッベスは、シャリーア実行を唱える強硬派とは異なり、左派である社会党との連携を保ちながらも、フランスを緩やかにイスラーム化していく。まず手をつけるのが教育である。学内でのスカーフ着用を禁じた報道が世界の関心を集めたが、共和国であるフランスでは教育の場で宗教色を誇示することは禁じられている。それではというので、公立学校に対する国家予算を大幅に減額し、イスラーム教育を行なう私立学校を設立。アラブのオイル・マネーを使い、良質な教育を求める学生を集める。果てはソルボンヌ大学までイスラーム化され、大学では女性教授は講義を許されず、男性もイスラーム教信者でなければ教授になれない。

これらのことがあれよあれよと進む様は、自国のクーデターめいた政局の変化を鑑みるに、なるほど大衆というのはそれまで当然と思っていたことが覆されることに、ほぼ無力であるなあ、とあらためて感心させられる。主人公が内戦を恐れ、パリを離れている間にユダヤ系であったミリアムはイスラエルに移住し、同僚の女性教授は退職、自分もまた退職して年金生活者となる。この間徐々にイスーラム化されてゆくフランスの風俗が描かれる。キャンパスではブルカ姿の女子学生が増え、街の女性からはスカートやワンピースが消えてゆく。主人公が食べる物もレンジでチンするインド料理からケータリングできるレバノン料理に変化している。

結果的に主人公は大学に戻ることになるのだが、そこに至るまでの経緯が面白い。ファウストを誘惑するメフィストフェレスさながらのこれもまた魅力的なパリ=ソルボンヌ・イスラーム大学新学長ロベール・ルディジェが登場する。フランソワは、とことん受身でセックス以外にやる気を見せない男だが、能力的には優秀で、例のユイスマンスの論文は学内外で評価が高い。多くの優秀な教授に退職されたパリ第三大学としてはフランソワに戻ってもらいたい。そのためには彼の改宗が必要だ。ベン・アッベスを信奉するルディジェはイスラーム教によってヨーロッパをローマ帝国化するという考えを諄々と説き聞かす。それによれば、キリスト教国家を中心とする今のヨーロッパは最早終焉しつつあり、これを生き返らせるにはイスラーム教しかない。南のモロッコやトルコ、アルジェリアなどはすでに射程に入っており、その規模は北方にも広がるはず、という拡大ヨーロッパの版図は危機に瀕する現在のユーロ圏をはるかに凌ぐものだ。家父長制の復権、家族という単位の重視、と次々に発せられる施策は反動的に思えるものばかりだが、ルディジェの口から聞かされるといちいちもっともに思えてくるから不思議だ。

徹底したノンポリの無神論者で女好き、アルコール好きの元大学教授というおよそイスラム教とは無縁の輩を攻め落とすルディジェの説得力ある議論がこの小説の眼目だろう。最後の決め手は一夫多妻制度、というのも皮肉が利いていて洒落れている。フェミニストならずとも、普通の女性は好感はもたないだろうし、その他の人種にもまずは反感を抱かせるだろう小説を皮肉や諷刺、苦いヒューモアをたっぷり利かせ、読ませる小説に仕立てたところがミシェル・ウエルベックならでは。蛇足ながら、表紙に訳者よりも解説者の名を大きく載せるのは如何なものか。解説自体それほどのものでもない。「訳者あとがき」でよかったのでは。
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by abraxasm | 2015-09-25 19:06 | 書評

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