『黒檀』 カプシチンスキ

e0110713_17133964.jpg読みながら、たびたび思い出したのは長田弘氏の詩だった。思索的でありながら、索漠とした散文ではない、詩心を感じさせてくれる文章なのだ。解説の中でカプシチンスキがほんとうに詩人だったことを知り、納得した。これは詩人の筆になるアフリカ大陸に住む人々に関する優れたルポルタージュであり、エッセイであり、紀行である。ノーベル文学賞候補に挙げられながら、ノンフィクションであることを理由に受賞を逸したという話が伝わるが、おかしな話だ。事実に基づいて書かれようが、一人の人間の眼や耳を通って入ってきた情報を同じ人物が頭や心を働かせて言葉にすれば、そこに現れるのは最早ただの事実の記録ではなく、ひとつの作品である。そういう意味で、これはりっぱな文学作品といえる。それも折り紙つきの。

ルポルタージュといえば、理不尽な状況下にある国家に潜入し、飢餓や差別、貧困にあえぐ住民の姿を記者が報告するといった態のものが多いが、そこには西欧的、人道的な視点から見た独裁政権に対する批判がつきもので、高所から義憤をもらすといった一種のお定まりのスタイルに落ち着きがちだ。記者の側も自分の身の安全を顧みず、危険な場所で記事を書くわけで、高揚感がつきまとうのも無理はない。

『黒檀』の凄いところは、そういった説教臭さや上から目線があまり感じられないところにある。はじめのうちこそ、政治家、高官へのインタビューが混じるが、次第に視線はもっと身近な場所、近くにいる人々にそそがれるようになる。それは、乗せてもらったトラックの運転手や、知り合いになった現地人から、彼らを通じてその家族、氏族、部族の長といったアフリカの内部というか深奥部にいる人々につながってゆく。われわれ外部の者が、アフリカと聞いて思いつくのは、新聞等で見聞きした内戦や飢餓の話題である。そこには原因とされる何かがあり、それを解明し、対策が立てられれば、一件落着。興味関心は別の事件に移る。

カプシチンスキに非凡なところは、単身その現場に乗り込み、白人が住む町ではなく、現地の人が暮らすゲットーを根城に、自分の体で現場を知ろうとするところにある。亀ほどの大きさのゴキブリが密集し、ゴソゴソと動き回る部屋ではさすがに寝られず、部屋の外で朝を迎えるが。アフリカの動物で何が一番怖いかといえば、ライオンでも象でもない。それは蚊だ。マラリアに侵され、結核になり、それでも帰国すれば二度と戻れないからと、現地にとどまり、治療を受けつつ記事を書く毎日。

それでも、町にいる場合はまだ安全だ。車を駆り、砂漠に出たり、徒歩で移動したりする旅の苛酷さは、いつも死と隣りあわせだ。クーデターの渦中にある国に入国し、そこから出るまでの経緯を書いた「ザンジバル」篇などは冒険小説そこのけである。それだけ、危険な目に遭いながらも、その筆にはどこか突き抜けたような澄明さがあるのがカプシチンスキの書くものの魅力なのだが、それはどこから来るのだろうか。考えてみれば、危地を脱したものでないと、その記録はかけないわけで、どうにか生き延びたという安心感の裏打ちがあっての文章の明るさなのかもしれない。

全二十九編、どれもそう長いものではない。出来事のすべてが記録されているわけでもない。いわば、その「切り取り」の上手さが命の文章である。だらだらとした長い文章ほど読者を疲れさせるものはない。カプシチンスキのそれはまさにその逆をいく。自分が感銘を受けた人物なり部族なりを追いかけ、その核心部を突く。そこには、彼ら西欧人の理解を超える生き方や、考え方、信仰心、生活の流儀がある。彼らと同じものを食べ、同じ道を歩ききったものにしか知ることのできないものが。その内奥に触れることで西欧人であることの意味などは簡単に覆されてしまう。ここには、西欧的な思考にない時間や空間、人間観が詰まっている。
アフリカには定規で線を引いたような国境線で分割された国があるが、それに何ほどの意味があるのか。旧宗主国による勝手な線引きをこえたものとして部族がある。ルワンダ内戦におけるツチ族とフツ族による虐殺について、新聞等で読んではいたが、カースト制にも似た差別構造や隣国との関係など、これを読んではじめて知ったことは数知れない。アフリカのことが書かれているのだが、読んでいて、これは今のこの国のことではないか、と何度も考えさせられた。たとえば、次のようなところ。ヨーロッパ文化にあって、アフリカにないものを「批判能力」だと言いつつこう書いている。

「概して他の文化にはこの批判精神はない。それどころか、自己を美化し、自分たちのものはなにもかもすばらしいと考える傾向がある。つまり自己に対して無批判なのである。あらゆる悪いことは、自分たち以外のもの、他の勢力(陰謀、外国の手先、さまざまな形での外国による支配)のせいにする。自分たちへの苦言はすべて、悪意ある攻撃や偏見や人種差別だと見なす。こうした文化の代表者たちは、批判されると、それを個人への侮辱であり愚弄でありいたぶりでさえあるとして、憤慨する。(略)自己を批判的に見る精神の代わりに、悪意、歪んだコンプレックス、妬みや苛立ち、不平不満や被害妄想でいっぱいだ。結果、彼らは、恒常的・構造的な文化上の特性として、進歩する能力に欠け、自らの内に変化と発展への意志を創り出す力を持たない。」

これはアフリカ人のことだろうか。私には現今の日本を支配する人々を指している文章としか読めない。
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by abraxasm | 2015-08-28 17:14 | 書評

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