『アヴィニョン五重奏Ⅴ』 ロレンス・ダレル

e0110713_12055260.jpg五篇の小説が骰子の五の目のように組み合わさって作られた組曲のような小説、登場人物もちがえば、時系列もバラバラでいながら、鏡に映したように似ている組み合わせのカップルもいる。ほとんど同じ名なのに、少しだけちがう人物もいる。まだ小説を書いていない小説家が自分の創り出した人物と延々と対話し続ける自己言及的なメタ小説。実験的な小説のようでいて、ロマネスクな香気を漂わせる、独特の作品世界。モダニズムを代表する最後の作家、ロレンス・ダレルの最後の小説『アビニョン五重奏』の完結編である。

読者を幻惑させるかのように、グノーシスの秘儀やテンプル騎士団の財宝といったミステリアスな意匠を用意し、ブランフォードとサトクリフ、アッファドとコンスタンス、その他の人物の対話を通じてフロイトの精神分析やユダヤ人、ジプシー(ロマ)の受難、禅やヴェーダーンタ哲学その他、二十世紀が抱える様々なイデオロギーを繰り出してみせたところに、現代小説作家の問題意識が色濃く反映されている。しかし、最終巻までたどり着いてみれば、何のことはない。恋多き女コンスタンスと物語の語り手であるブランフォードの、縺れに縺れた恋の顛末が通奏低音として全篇に響いていたことが分かる。

コンスタンスのヨガ・マッサージで奇跡的な恢復を遂げたブランフォードは、コンスタンスと二人テュ・デュックの別荘で暮らし始める。水浴中のコンスタンスが痙攣に襲われて溺れかけたことがそれまでは介護される立場だったブランフォードを一気に覚醒させる。背中の傷みをものともせずコンスタンスを救うために水に飛び込み、コンスタンスを抱いて泳ぎきったのだ。自信を回復したブランフォードは心身ともにコンスタンスと結ばれ、完璧な恋愛の成就がもたらす幸福感が全篇を染め上げる。

最終巻であるから、それまでに引かれた伏線は、その意図を明らかにし、隠されていた秘密は暴かれなくてはならない。英独二重スパイのスミルゲルが明かすリヴィアの死の真相、テンプル騎士団の財宝の在り処、と暴かれる秘密は少なくない。ただ、これまでの鬼面人を驚かすような凝りに凝った細工は影をひそめ、道化役のゲイレン卿も年老い、王妃の容態が思わしくない王子も、いつものように乱痴気騒ぎを起こさないのが少し残念。

サヴィーヌの再登場で一族の「母」と呼ばれる長の占いが一行の未来を予言するところや、馬車や荷車に家財道具を詰め込んだジプシーの群れがヨーロッパ中からアヴィニョンに蝟集する姿に一抹の不穏な空気を残すが、森のあちこちに店を出したジプシーの屋台、電飾されたポン・デュ・ガールに揚がる花火が祝祭的な一夜を盛り上げる。紀行作家としても知られるダレルは、一篇に最低一つ、必ず絵になる場面を書き入れないではおかない。サント・マリー・ド・ラ・メールの聖女サラの祝祭と、このページェントが今回の目玉だ。

五篇の小説がそれぞれ異なる主題を奏しながら、やがて世にも稀な五重奏曲として成立する、そんな小説を意図して書かれた『アヴィニョン五重奏』も、いよいよこれで最後。どうなることかと勢い込んで読み始めたのだったが、冒頭、アヴィニョンに向かう列車の窓からブランフォードは小説のためのメモをすべて捨てる。新たな人生の始まりを意識しての行動だった。創作メモを駆使して作りこむような小説の忌避とも読める。それを証明するように作為的な部分がすっかり消え、いつになく真剣なサトクリフとブランフォードの思弁的な対話が戯曲のように長々と続く「クインクス」は、これ一篇では独立した作品として読むのは難しい。

連作小説の完結編としてなら、ブランフォードとコンスタンスが紆余曲折の果てに結ばれることに尽きる。互いにはじめて会ったときから惹かれあいながら、二人の間には邪魔が入り、その都度、別の愛が生まれては破局を迎える。完結に至るまでに何人の男女が傷つき、死んでいったことか。そういう意味では時代と呼応しあうような死と狂気に溢れた小説世界であった。いまや、すべての死者は静かに瞑目し、二人の新たな門出を祝うかのようだ。しかし、やがて、ブランフォードは小説を書くために、まるでリルケイアンのごとくコンスタンスのもとを離れ、一人去ってゆくだろう。それは、既に読者の知るとおり。

[PR]
by abraxasm | 2014-12-15 12:08 | 書評

覚え書き


by abraxasm