表紙では、Ich Romanと、一人称小説をうたってはいるが、なかなかどうして、そんなひと言で括ってしまえるようなしろものではない。簡単に言えば、用意した数冊の本を一度ばらばらに解体し、二、三ページずつ、きりのいいところでまとめ、それらを時系列にそって、トランプの7ならべでもするように数段に並べておいて、はじめは一段目と二段目を交互に紙取りし、次には、三段目と四段目を交互に、その次は二段目と五段目というように紙を取っていったものを最後にもう一度全部綴じるとできあがる、そんな本なのだ。
話者である「私」は、左手堅という名の詩人で、編集者でもある。といえば分かるように、これは作者平出隆に限りなく近い人物として創造されている。小説は、その「私」が、祖父である左手種作の遺した原稿を頼りに、実はそれまであまり深く知ろうとはしてこなかった祖父や父の姿に迫ろうとする探索行を描いている。 問題は、複数の時系列に沿って、断章形式でぽつりぽつりと提示される探索行の間に挿入される、祖父種作の遺稿にある。在野のエスペランチストで、中西悟道とも親しかった鳥類研究者。独学で学んだ外国語を駆使し、極地探検の記録や金鉱堀りの手記等、少なからずの文章を翻訳している。作者は、祖父の行状を探ったり、祖父の遺稿に登場する人物を調べたりする探索行を記した文章にそれら複数の祖父の遺稿を、やはり断章形式で挿入していく。 読者としては複数の物語が同時進行していくのを追うだけでも大変なのに、その間に、鳥やら樹木やらに関する図鑑ふうの文章まで読まされるわけで、趣味を同じくする人には楽しいのかも知れないが、一般の読者には正直、抵抗のあるところだろう。ただ、弁護するわけではないが、左手種作の手になるとされる文章、平易である上に格調さえ漂うもので、現代日本語の書き手として定評ある作者の文章と交互に並べられても、なんら遜色のない達意の名文である。であるからか、たしかに膨大な量の文章なのだが、終わりに近づくにつれ、この続きが読めなくなる寂しさが襲ってくるから不思議である。 by abraxasm | 2010-04-15 18:55 | 書評
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