ブライヅヘッドふたたび 3(翻訳について)

訳者は吉田健一。その独特のくせのある文章は定評のあるところ。一部には悪文家という評もあるようだが、どうしてどうして、その日本語は彼でなくては書けない種類の名文である。オックスフォード留学の経験もあり、彼を置いてこの訳の適任者はいない。読み難いという向きもあるようだが、一度そのリズムに乗れば、一気に読み通してしまう。むしろ格調ある典雅な日本語といってよい。それでいて、英国流のほろ苦いヒューモアをにじませた味わい深い翻訳となっている。

ほとんど恋愛といってよい同性間の友情を描くにあたって、原作自身が、感傷的過ぎると評されるほど、抒情過多な叙述を用いている。吉田の訳文は、それを情緒あふれる日本語に置き換えることに成功している。外国文学といっても、われわれが読むのは日本語である。日本語としてある程度の水準が保てなければ、原文の芳香は失われてしまう。主人公の部屋に香る「あらせいとう」やブライヅヘッドに咲く「しもつけの花」という語には木下杢太郎以来、脈々と西欧由来の文化を日本の土壌に移植してきた繊細な手触りが感じられる。

その一方で、英国流儀の生活スタイルに慣れた吉田でなければ、書ききれなかったであろう風俗的な叙述がある。葡萄酒の味ひとつとっても、その味を知って書くのと、知らないのでは文章の訴求力がちがう。文中白眉といってよい、主人公とその父親とのやりとりも、英国階級社会をそのまま日本の華族あたりに置き換えたような自在な訳しぶりが、他の訳では味わえないような独特の雰囲気を漂わせている。けだし名訳と評すべきであろう。
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by abraxasm | 2009-12-14 22:51 | 書評

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